合掌がようやく載った
椋川古民家の構造模型制作はなかなかたいへん。毎日、夜遅くまでこつこつ作業をして一ヶ月、ようやく、完成に近づいた。図面を10枚程つねに見比べないと、梁の掛かり具合がわからない。これは建築図面を読む力をつけるにはなかなかいい方法かもしれない。1年生が最初に手がける木造住宅の構造模型とは雲泥の差だ。
ようやく完成
当初は1階の床を張ろうと、床の束や束石を省略していたが、やはり床板を入れると平坦になって、詰まらないと、急遽、束と束石を入れることにした。僕のいかつい手では入らないので、女子学生にやってもらった。ダイドコと称する中央の火袋吹き抜けのある部屋にいろりが切られるのだが、粘土でいろりとクドをこしらえてはめてみた。クドはまだ現場でも築かれていないはずだ。
模型内部を覗いてみる
構造を見るのにつくった模型であるが、やはり母屋やたるきなどを入れないと、屋根の形が見えて来ない。といって、これらをきちんと入れると、中の構造が見えなくなってしまう。たるきは実際のものよりもまばらに透かして入れ、裏側では一部省略して内部を覗けるようにした。
つしを覗いてみる
模型と同じポイントです
完成した模型(正面)
やれやれ、やっと模型は完成。ただ、これはあくまでもタルキの構造ラインが見えているので、実際の建物はこの上に60cmほどの茅が厚く被せられており、全体のプロポーションはずいぶん違って見えてくる。アクリルのカバーも何とか出来上がり、現地に納めに行ったのは、竣工披露の前日のことであった。(さの 5につづく)
椋川古民家の構造模型制作はなかなかたいへん。毎日、夜遅くまでこつこつ作業をして一ヶ月、ようやく、完成に近づいた。図面を10枚程つねに見比べないと、梁の掛かり具合がわからない。これは建築図面を読む力をつけるにはなかなかいい方法かもしれない。1年生が最初に手がける木造住宅の構造模型とは雲泥の差だ。
ようやく完成
当初は1階の床を張ろうと、床の束や束石を省略していたが、やはり床板を入れると平坦になって、詰まらないと、急遽、束と束石を入れることにした。僕のいかつい手では入らないので、女子学生にやってもらった。ダイドコと称する中央の火袋吹き抜けのある部屋にいろりが切られるのだが、粘土でいろりとクドをこしらえてはめてみた。クドはまだ現場でも築かれていないはずだ。
模型内部を覗いてみる
構造を見るのにつくった模型であるが、やはり母屋やたるきなどを入れないと、屋根の形が見えて来ない。といって、これらをきちんと入れると、中の構造が見えなくなってしまう。たるきは実際のものよりもまばらに透かして入れ、裏側では一部省略して内部を覗けるようにした。
つしを覗いてみる
模型と同じポイントです
完成した模型(正面)
やれやれ、やっと模型は完成。ただ、これはあくまでもタルキの構造ラインが見えているので、実際の建物はこの上に60cmほどの茅が厚く被せられており、全体のプロポーションはずいぶん違って見えてくる。アクリルのカバーも何とか出来上がり、現地に納めに行ったのは、竣工披露の前日のことであった。(さの 5につづく)
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かや降ろし作業
この家を残すために自分たちにできること、それはこの家のよいところを一人でも多くの人に伝えること、村の人たちにとって意味のある交流の場所として使いやすい施設として適切な建築計画を行うこと、また耐震のための補強を提案することなどなどである。及ばずながら、出来うる限りのお手伝いをおこなったつもりである。耐震補強を念頭に、構造の実測調査を行い、それに基づいて限界耐力計算法による診断を行った。さいわい、構造部材の断面が大きく、接合部も相当によくつくられているので、いくらかの補強を行いはするものの、全体として、まずまずの耐震性を有することがわかった。補強は主に脚もとを繋ぎ合わせることと、土壁によって剛性の不足を補うというようなことである。今回は屋根の茅を全面的に葺き替えたので、古い茅の単位重量を測定する機会が得られたことを付け加えておきたい。茅は乾燥の度合いで重量が変ると思われるが、東西南北、ほぼ10%程度の誤差で60kg/m2(葺き厚55cm程度)であった。
構造模型 火袋部分からつくる
もう一つ、この家のもっとも素晴らしい構造をより理解するために、学生たちと一緒に構造模型をつくることを提案し、地元の人たちの同意を得て、改修工事の竣工に合わせて制作することになった。
模型制作のための道具たち
縮尺は1/30、松の曲がった梁を、実際の曲がりを拾って一本一本削りながら拵えていくのだが、作業は思った以上に手間がかかった。小さい内反りの鉋を購入したのだが、これがなければ、あきらめていたかもしれない。
隅の部分の梁構成
それにしても、どうしてこんな面倒な梁の掛け方をするんだろうと、模型を作りながら考えた。要は、屋根の荷重を中央の火袋コアと、建物の外周部へと流している。ストレートに柱で受けずに、幾段もの梁で受け継ぐことで、接点の数と動きの自由度を増してやり、そのことで、柔軟に力を伝え流してやることができる。その分、各接点に力が集中しないという利点がある。こんな込み入った梁組を、その前の家がお盆の火事で消失してわずかに1年程で着工し、上棟しているというスピーディーさなのだから、引受けた若狭の棟梁氏は大した力量である。 (さの 4につづく)
この家を残すために自分たちにできること、それはこの家のよいところを一人でも多くの人に伝えること、村の人たちにとって意味のある交流の場所として使いやすい施設として適切な建築計画を行うこと、また耐震のための補強を提案することなどなどである。及ばずながら、出来うる限りのお手伝いをおこなったつもりである。耐震補強を念頭に、構造の実測調査を行い、それに基づいて限界耐力計算法による診断を行った。さいわい、構造部材の断面が大きく、接合部も相当によくつくられているので、いくらかの補強を行いはするものの、全体として、まずまずの耐震性を有することがわかった。補強は主に脚もとを繋ぎ合わせることと、土壁によって剛性の不足を補うというようなことである。今回は屋根の茅を全面的に葺き替えたので、古い茅の単位重量を測定する機会が得られたことを付け加えておきたい。茅は乾燥の度合いで重量が変ると思われるが、東西南北、ほぼ10%程度の誤差で60kg/m2(葺き厚55cm程度)であった。
構造模型 火袋部分からつくる
もう一つ、この家のもっとも素晴らしい構造をより理解するために、学生たちと一緒に構造模型をつくることを提案し、地元の人たちの同意を得て、改修工事の竣工に合わせて制作することになった。
模型制作のための道具たち
縮尺は1/30、松の曲がった梁を、実際の曲がりを拾って一本一本削りながら拵えていくのだが、作業は思った以上に手間がかかった。小さい内反りの鉋を購入したのだが、これがなければ、あきらめていたかもしれない。
隅の部分の梁構成
それにしても、どうしてこんな面倒な梁の掛け方をするんだろうと、模型を作りながら考えた。要は、屋根の荷重を中央の火袋コアと、建物の外周部へと流している。ストレートに柱で受けずに、幾段もの梁で受け継ぐことで、接点の数と動きの自由度を増してやり、そのことで、柔軟に力を伝え流してやることができる。その分、各接点に力が集中しないという利点がある。こんな込み入った梁組を、その前の家がお盆の火事で消失してわずかに1年程で着工し、上棟しているというスピーディーさなのだから、引受けた若狭の棟梁氏は大した力量である。 (さの 4につづく)
この椋川の里には、田舎で子どもを育てたいと家族もろとも都会から移り住んだ青年がいて、この元気な家族から、村の年寄りたちの意識はいわば内側から少しづつ変わり始めていた。彼の熱意のもと、茅葺きの里に元気を取り戻したいと、幾度も幾度も現地に集まる内に仲間が増えて、どうしたらこの家を残せるか、意見を出し合った。村の人たちにとって、都会の他所もんが勝手なことを言ってるだけだと映るのは仕方ない。われわれはこの村をまもろうと、まず団体をつくり、活動を始めた。すでに、この地域で昔ながらの農業形態を復元し、その自然生態系を調査していた滋賀県立大学の先生やチームが柱となり、牛を使って田を耕す実験、焼き畑、茅刈りなどを行い、村の人たちとの交流を行った。他方で、くだんの家の実測調査を行った。
「椋川の里をまもろう会」会合風景
この家の住人があきらめつつあった理由の一つに、合掌の倒れがあった。冬は雪に埋もれる地域であるが、山を回り込む強い西北の風で雪が偏り、屋根を歪めてしまったようだ。下の実測断面スケッチを見ればその歪みようがわかるだろう。すでに、危険な状態にある。そこで、まず、これ以上倒れない様に、応急の処置として筋交いを入れることにした。とにかく、信用してもらえるまで、よく通い込むことが大事である。そうこうしている内に、ついに、所有者氏はこの家を残すことを決意することとなる。
かくして、村のシンボル的存在であった茅葺きの家は、高島市に寄贈され、村の交流拠点施設として、生まれ変わることとなった。改修工事費が市の予算に計上され、具体的な修繕、改修内容が検討された。工事は昨年の秋から、屋根の茅葺き作業、特に足元回りの耐震補強の作業などが行われ、この春に竣工した。町家研究室は実測調査から改修案の設計、工事の助言などを行ったが、別に、この家のもっとも重要な構造をよく理解するために、構造模型を制作させてもらい、竣工に際して納めた。次回の便で模型製作作業の様子を紹介しよう。(さの 3につづく)
4月24日竣工式を迎えた
「椋川の里をまもろう会」会合風景
この家の住人があきらめつつあった理由の一つに、合掌の倒れがあった。冬は雪に埋もれる地域であるが、山を回り込む強い西北の風で雪が偏り、屋根を歪めてしまったようだ。下の実測断面スケッチを見ればその歪みようがわかるだろう。すでに、危険な状態にある。そこで、まず、これ以上倒れない様に、応急の処置として筋交いを入れることにした。とにかく、信用してもらえるまで、よく通い込むことが大事である。そうこうしている内に、ついに、所有者氏はこの家を残すことを決意することとなる。
かくして、村のシンボル的存在であった茅葺きの家は、高島市に寄贈され、村の交流拠点施設として、生まれ変わることとなった。改修工事費が市の予算に計上され、具体的な修繕、改修内容が検討された。工事は昨年の秋から、屋根の茅葺き作業、特に足元回りの耐震補強の作業などが行われ、この春に竣工した。町家研究室は実測調査から改修案の設計、工事の助言などを行ったが、別に、この家のもっとも重要な構造をよく理解するために、構造模型を制作させてもらい、竣工に際して納めた。次回の便で模型製作作業の様子を紹介しよう。(さの 3につづく)
4月24日竣工式を迎えた
話は3年前の冬のこと。町家研究室の顧問をお願いしている鈴木有先生に、滋賀県の湖北の椋川(むくがわ)という小さな山村に茅葺き民家がある。それを何とか保存したいので、手伝って欲しいと頼まれた。行ってみれば、12、3軒の家がある集落で、ひときわ大きな茅葺きの家。お住まいの老夫婦の話は、例にもれず、子どもたちは町に出て、もうこの家のお守りもできないので、壊して住みやすい家を新築したいという話。
見たところ比較的新しい農家で、明治14年の上棟とか。この辺りでは「大浦型」と呼ばれているタイプに属する家である。この集落のほとんどがもと茅葺きの家で、その大部分がトタン板を被ってしまっている。半分近くは空き屋状態で、いくつかは廃屋状態。若い人に直して住んでもらいたいとのこと。もっと近けりゃな〜。京都から1時間半なので、大学教授のような身分なら、それも可能かもしれない。(廃屋の一つの屋根を学生君たちと応急処置した話は、以前にこのブログで紹介しました。)
くだんの家のツシ(屋根裏)に昇ってみて驚き!すごい大きな梁組が目の前に!
住んでいる部屋は一番下のところで、中二階はかつて蚕を飼っていたそうな。中央は火袋となっていて、およそ5m×5m×5mの大きな空間。上部には太い松梁が井桁状に噛み合ってしっかりとコアをなしている。「枠の内」とも称される雪国に多い構造形式である。その上に太い合掌組があり、大きな茅屋根を支えている。何とも素晴らしいみごとな構造!こんな家を壊してしまうなんて絶対にイケナイ!本腰を入れて、何とか保存するために仲間に呼びかけて保存活動を始めることとなった。(さの 2につづく)
1年リーダーのコバです。この春休みはほとんど東寺町家の工事に費やすことになりそうです。毎日、泥と格闘しているような気もしますが、いろいろなことを覚えられるのが、収穫です。
ここしばらくは、町家の妻壁の外側の補修です。波トタンを張る予定ですので、下地を打ち付けます。下地は柱の間に縦桟、その上に横桟を打って行きます。桟を取付けながら、壁の厚みを増すために荒土を塗り付けて行きます。かつての壁土がぼろぼろこぼれて下に堆積しているのを掘り出し、それに新土と藁すさを練り混ぜながら、厚塗りします。
隣では、れなさんたち2年生チームが、遅い昼ご飯を食べています。これは食卓ではなくて、やがて床下に入れる掘りごたつの箱なんだそうです。
作業はいよいよ内装の仕上げ
に入り、どんどんきれいになっ
て行きますね。
3月19日、やっと横桟まで打ち上がりました。昨日から暑いくらいの陽気で、汗が目に入ります。2階の壁塗りも何とか出来て、何とか明日からのトタン張り作業ができるかな?
(週末、浜松の実家に帰省していたコバでした)
オザキっす。卒業茶会の稽古やら準備やらで、久しぶりの東寺町家です。高いところ大好き!足場丸太は教室の椅子よりも座り心地がいいっすよ。みんなよくやってくれたね〜。感心感心。後はオレに任せな。トタン張りは2日か、十分十分。
(鳥取に帰っていた余裕のオザキでした。)
サノ: ちゃんとやっているかな?何だか縦桟がまばらだなあ。間が空くと、釘を打つのがたいへんだよ。きちんと縦桟を入れておきなさい。
今晩から雨が降るそうだから、シートを上に懸けて、作業ができるようにしておいてください。足場を濡らすと、滑って危ない。あまり降ったら、作業は中止だよ。
毎日、よく頑張ってくれています。もう少しで、この一連の仕事も一段落。そうしたら、打ち上げしようね!(中国から僕が帰って来てからになるが、よろしく。)
ここしばらくは、町家の妻壁の外側の補修です。波トタンを張る予定ですので、下地を打ち付けます。下地は柱の間に縦桟、その上に横桟を打って行きます。桟を取付けながら、壁の厚みを増すために荒土を塗り付けて行きます。かつての壁土がぼろぼろこぼれて下に堆積しているのを掘り出し、それに新土と藁すさを練り混ぜながら、厚塗りします。
隣では、れなさんたち2年生チームが、遅い昼ご飯を食べています。これは食卓ではなくて、やがて床下に入れる掘りごたつの箱なんだそうです。
作業はいよいよ内装の仕上げ
に入り、どんどんきれいになっ
て行きますね。
3月19日、やっと横桟まで打ち上がりました。昨日から暑いくらいの陽気で、汗が目に入ります。2階の壁塗りも何とか出来て、何とか明日からのトタン張り作業ができるかな?
(週末、浜松の実家に帰省していたコバでした)
オザキっす。卒業茶会の稽古やら準備やらで、久しぶりの東寺町家です。高いところ大好き!足場丸太は教室の椅子よりも座り心地がいいっすよ。みんなよくやってくれたね〜。感心感心。後はオレに任せな。トタン張りは2日か、十分十分。
(鳥取に帰っていた余裕のオザキでした。)
サノ: ちゃんとやっているかな?何だか縦桟がまばらだなあ。間が空くと、釘を打つのがたいへんだよ。きちんと縦桟を入れておきなさい。
今晩から雨が降るそうだから、シートを上に懸けて、作業ができるようにしておいてください。足場を濡らすと、滑って危ない。あまり降ったら、作業は中止だよ。
毎日、よく頑張ってくれています。もう少しで、この一連の仕事も一段落。そうしたら、打ち上げしようね!(中国から僕が帰って来てからになるが、よろしく。)
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