北岡です。梅雨空もなかなか良いものですが、大雨は怖いですね。
もうすぐ夏休みですね。
子供にだけ与えられている夢の時間。
実は未だに、夢を見ている私です。
神戸の北野にCAPHOUSEという組織があります。
そこで、活動させていただいてから早8年。
私はアート林間学校という講座で子供向けの空間芸術講座である
”基地を作ろう” を8年前から開催しています。
(例年、人気講座で数日で定員いっぱいになるんです。京都でもやってみたいですが。興味のある方見に来てください!)
これがなかなか建築を生業としている私にとって素敵な時間でもあります。
大人はもちろんのこと、子供たちには既に空間的な束縛を身につけています。
座る、寝る、それ以外ほとんど奪われてしまった様に見えます。
様々な空間とのつきあい方を現代の建築は奪っていますね。
もちろん、それが悪いことではありません。その安定したスタイルは様々な効率を向上させました。
基地。
この言葉に様々な世代の”元子供”達は心くすぐられるはず。
そのワクワクする思いは、世代を超えます。
期間中、ブラジル移民の施設だった古い建築の裏庭で、子供たちから少しずつ現代の”規定された空間”の経験をはがしとっていきます。
液晶画面の空間を。テレビの空間を。ダイニングキッチンという空間を。
机、いす、ソファーを。
するとどうでしょうか。
子供たちは、蹲り、腹這いになり、寝転がり、時には跨がり、渡り、飛び越え、額を寄せ、肩を寄せ、膝を突き合わせ、正座します。
機能を最低限満たすと、飾りや憩い、もてなし、下足との区分、清掃用具、窓などに創作力を注ぎます。
驚くことに、それは例年何も教えずとも彼らは数日のうちに同じような完成度をもたらしてくれます。
あれ、これって茶室など日本の伝統空間で私たちが所作や伝統としてしかふれあうことが無くなった仕草ではないですか。
日本の伝統建築空間は実は自由な空間と人の遊び心が多く残っている場なのです。
過剰な設備や前衛性に走らなければ存在意義の無い建築表現ではなく、人との一期一会を常に演出する心が自由に飛翔できるのが日本建築の目的。
懐深いですね。
京都建築専門学校はそんな日本建築空間をじっくりと学べます。
( きたおかしんや / 伝統建築研究科講師 )
http://yaplog.jp/lotuslotus/monthly/200507/
主に<落水荘>(1935)をめぐって、彼の後期のユーソニアンスタイルに展開する入口となる空間つくりが見られること、とくにコーナーを開けることで箱の閉じた空間からの脱却を試みていることなどが紹介された。
ライトの生涯を通じて標榜される「有機的建築」の意味は、建築の部分と部分、ないし部分と全体との有機的な相関関係にある。その模範が自然物にあり、例えば貝に立派な有機的建築の例を見るのである。また、人間と対峙された自然との共生ではなく、共生が成り立つのは、人間存在も含めて一つの自然という次元であり、そこに「住まわれる内なる空間」としての「建築」がめざされるとされる。
時間の都合で、集団で自然豊かな農場において半自給自足の生活を送りながら実践的な建築教育を行っていくというライトのタリアセン・フェローシップについては紹介にとどまったが、ライトの自然との有機的な連関を建築化するという姿勢から、このような建築教育のあり方の意味について掘り下げた解釈をまた次の機会に水上先生に教えてもらいたいものである。
連続公開講義の2は、9月29日土曜日13:00~16:00
同じ会場で本校の桐浴邦夫先生による近代の数寄屋建築に関する講演を予定しています。
続いて、例年の市民講座「木造の魅力」を10月11月12月に3回を予定しております。合わせてご期待下さい。
(さのはるひと)
木工グループ全員で森林組合製品倉庫のアンカーボルトを据える工事をしました。トランシットで精密に芯を出し、レベルで高低差を実測、午後からホールダウンのアンカーのための基礎コンクリートを打つ穴を掘削。カッターでアスファルトを切り、ハツリで穴を開けて行きます。なかなかよく締まっていて、たいへん。雨がぽつぽつしています。
アンカーボルトは全部で11カ所、基礎は後で移動が可能なように、コンクリートブロックでつくる予定。今回は工務店子弟組が家の道具持ち込みで大活躍でした。
さて、雨が次第に強くなって来ているぞ...、やばい、墨が雨で流れ出した。何とかアンカーボルトをセットし、コンクリートを手で練り、打ち込んで行きます。雨の中、セメント9袋分、9回練りました。皆、段々手練りが上手くなって来たよ。
夕暮れに近くなり、ようやく終了。皆、よく頑張りました。ご苦労様。なかなかいいチームワークでした。来週の日曜日はコンクリートブ ロック基礎の製作、これも手強い仕事になるだろうな。森林組合の勝山 さん、お忙しい中最後までおつきあいいただきありがとうございました。(組長 江浪でした。)
初めまして。
前期に伝統建築論。後期に建築古典書講読を担当しております、北岡慎也です。
よろしくお願いいたします。
日本の伝統建築はとても魅力的です。それは誰もが感じ、知っている事です。
それは日本建築が過去のものではなく、現代に必要とされる何かがある事を直感
しているからだと私は思っています。
しかし建築を創造する立場になろうとしている上で、この魅力が現代社会におい
て、いかに展開するかはなかなか見えてきません。
きっと日本の建築が単なる造形的な探求や機能的な合理性を目指したものではな
いからだと思います。
日本建築は我々人間の営みから生まれた空間であると思いますし、同時にその空
間から営みを産み出すものです。
しかも、その営みの手本は様々です。近代的な合理主義的解釈だけでは理解でき
ない奥ゆかしさも持っています。
時には神仏や政治が。
時には悪しき慣習や差別が。
大胆な構法や見栄っ張りな装飾もあれば、魑魅魍魎とした精神が豊かな自然に抱
かれながら、新陳代謝の早い木造軸組構法の建築を形成しています。
なかなか一筋縄では捉えきれない造形行為の論拠が日本建築の特徴でもあります
が、その一つ一つに人間的な暖かみがある事も特徴であるでしょう。
現代社会における建築行為の論拠は、残念ながら経済が占めているといわざるを
得ません。時には人命までもおざなりにしている事態に至っては一昨年の物議を
醸した事で記憶に新しいでしょう。
そうした上で私たちは、日本建築の何かが今必要だと感じています。
京都が過剰なまでに東京と異なった注目を集めている理由も、どうやらその辺り
に転がっていそうです。
講義の目的は、こうした建築行為の多様な論拠を歴史の中に探すことなのです。
写真は桂離宮の園林堂にある飛び石です。
何気ない粋な意匠と言ってしまえばそれまでですが、宗教空間に至る直前の意識
の変化を伽藍の要素でひっそりと再構築しています。
そこには茶庭で育まれた飛び石の意匠能力と真行草の使い分け、蒔絵などに見る
散らしのセンス、雨落ちの意義、仏堂の本質など様々な理解がこのデザインをア
フォードしています。
私たちはこの造形を美しいと感じる素養を幸せなことに持っている。
なかなか面白いと思いませんか。
日本ってすごいですね。
(伝統建築研究科講師 北岡慎也)
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