ナベ :うわ、なんだこれ?でっかい石が積んである
イワモト:これが一乗谷城下町の門さ
オ〜バ :15世紀中頃らしいよ。550年も前のことだ
ナベ :秀吉もでかい石を好んで積んでいるけど、当時の流行なんかな〜
イワモト:朝倉も文化的な大名だったみたいだね。館跡には石庭もあるらしいから、楽しみだね
オ〜バ :これが復元された町並みか。目抜き通りの割には閉鎖的だな〜
ナベ :半分は武家住宅なんで塀だらけなんだ
イワモト:九州の島原や知覧にもこんな道があるよ
ナベ :復元だから仕方ないけど、みんな同じ表情になってしまうね
オ〜バ :実際はもっと個性がにじみ出て変化があったんだろう
イワモト:同じ業者につくらせないで、あちこちに分担させればいいのかな
ナベ :いや、これなんか町家風だね。妻入りで、設計は変えてあるんだけど
オ〜バ :あるんだけど、同じだね
ナベ :どうしてかこうなるんだろうね
イワモト:土壁の色やつくりが一緒だからだろうさ
ナベ :これ、モルタルみたい
オ〜バ :下地にはちゃんと竹小舞編んで壁土塗りになってるのに、勿体ない
イワモト:この時代に竹小舞が使われていたのかな〜?
ナベ :内部は窓も開けっ放しで寒くない?
イワモト:寒い時には突き出しの板を下げてフタするんだろうね
ナベ :まっくらじゃん
オ〜バ :板には槍カンナがかかってる
イワモト:まだ台鉋は出回っていなかったらしいよ
ナベ :柱梁もぼこぼこ チョウナはつりままだね
オ〜バ :実際には火をくべているので、燻されてまっ黒になっているはず
イワモト:ここでも火を焚いたら、それ風に見えてくるだろうにね
ナベ :最初の武家屋敷は焚いてたみたいだよ。いい感じになってた
イワモト:やっぱり家は使わないと嘘くさいし、変だよね
ナベ :これが有名な朝倉館の門か。記念写真撮ろうよ
イワモト:残念、記念写真はボツ
オ〜バ :唐門はきれいな形だけど、お殿様の館にしては風流だね
イワモト:この門はもともとの屋敷の門ではないらしいよ どこかのお寺の門の移築らしい
オ〜バ :なるほど、道理で。
イワモト:それにしても、どうしてこんな山の谷筋に城下町をつくったんだろうね
オ〜バ :秀吉なら、すぐに水攻めしちゃうね
イワモト:その前に信長に滅ぼされてしまったんだ
イワモト:これは城主館の上方にある諏訪館の庭で、一番まとまりがいいと思った
オ〜バ :大きな館にはどれにもなかなかの石庭が組まれているよね
ナベ :でっかい滝の石にはなんやら文字が彫られている
イワモト:滅ぼされた城主たちに対する供養として彫られたそうだ
ナベ :ふ〜ん、芭蕉なんかが来たら名句がつくられただろうにね
オ〜バ :石はこの周辺から集められたそうだ。秀吉がつくれば、もっと名石を集めただろうけど、
さすがにこの時代にはそんな余裕はなかったんだろう
イワモト:でも、何か桃山期の豪華さはないかもしれないけど、武家好みな感じはあるんじゃない?
ナベ :今は庭として植木なんかが整備されていないけど、植栽をそれなりにちゃんとしたら、
これは名園だよね
オ〜バ :おそらく、京都から庭師を連れてきてどんどんつくったんだろうな。斜面をうまく利用し
ていると思うけど、何だか、つくられたという感じが抜けないのはどうしてかな
ナベ :やっぱ遺跡のままなんで、庭としては半分しかできていないんじゃない?
イワモト:朝倉館の庭の中央に花壇の跡があったね。数寄屋の建物越しに石庭を組んでいたけど、
規模がずっと小さくて、不思議。きっと山の斜面にも庭がひろがっていたんじゃない
かな。今後の調査でそれがわかるといいね。
オ〜バ :歴史資料として、勝手な復元は許されないとは思うけど、これをベースにして庭も建物も
どんどんつくってやったら、すごい魅力的な観光施設になりそう
イワモト:そうだね。中途半端な観光施設ではなくて、じっさいに人が住んで文化的な深みのある
復元をやってみたらいいと思う
(今回はまじめなふらふら三人組でした イワモト ナベ オ〜バ)
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