7月24日、京都建築専門学校の創立60周年記念式典がブライトンホテルにて行われました。思えば、10年前の50周年の際に、よしやまち町家校舎が出来ました。この10年には町家ブームもありましたが、環境問題や姉歯問題が建築業界に重くのしかかって来た10年でもありました。10年前の晴れやかな空気とちがい、本日の式典での理事長はじめ皆様方のご挨拶にも重く暗い空気が漂っておりました。
今回の記念講演は「都市の森」で知られる有馬孝禮東大名誉教授(農学博士)をお招きし、「森林と木材から考える木造建築」というお話をいただきました。山の木は炭酸同化作用によって空気中のCO2を吸収し、Cを身につけて固定してくれます。気候変動の主原因であるCO2の削減を人工林の適切な更新によってはかることができます。このことは、木造建築もまた都市に炭素固定してくれる「都市の森」という見方ができるということに繋がります。環境の時代に、木造建築が他の素材による建築に対して、CO2発生量がもっとも少ないということと並んで優れる所以です。
先生のお話の冒頭に、西欧の「石の建築」には、完成に300年をかける偉大な建築の文化がある一方、「木の建築」はすぐに完成する簡単なものと見られるかもしれないけれども、素材である木を植えてから伐採できるまで200年300年という長い年月がかけられていることを思えば、両者はほぼ同じタイムスパンの建築であり、等しくその貴さを思わなくてはならない。木造建築は木を植えるところから始まる。この考えに立てば、木造は山の木をひとつのものとして一体に考えることができるのだというお話が印象深いものでした。
また、きちんと補修、維持されて来た文化財とちがって、庶民住宅は消費財的に捉えられて来ていて、ためにメンテナンスもあまりされず、短寿命が余儀なくされた。これを「持たそう、残そう」と思う長寿命の住宅という考え方を積極的に持たなくてはならないと。そのためにも、これからは修繕の技術や材料供給、人的仕組みをしっかりと考えて行かなくてはならないと、講演を閉じられました。
現在は宮崎県木材利用技術センター所長として、多忙な生活を送られておられる先生ですが、禿げ山を購入、自ら飫肥杉の苗を植えて、週末に手入れに行かれるとか。今後もお元気で林野庁と国交省の両方を高所からご覧頂き、わが国の森林と木造建築のためにご指導いただけますよう、お願いしたいものです。
記念式典前の朝、有馬先生をよしやまち町家にご案内しました。京都では、伝統の町家や木のまちがあって、細やかな手入れをして後世に残していくことを若い世代に期待したい。その際、それが業として成り立ち、生活できるように考えていくことが必要で、そのために、たとえば修繕や改修工事の発注の仕方などに、分離発注のような仕方を、人工や単価が目に見える形で提示して、きちんとして行くことが大事だと、たいへん適切なアドバイスをいただきました。まさに、このことが次の10年の課題となると感じました。先生のお心のこもったご指導に重ねてお礼を申し上げます。
(さのはるひと)
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今年の夏の特別公開合同授業は都市について勉強しようということで、京都にある総合環境地球学研究所の村松伸先生においでいただき、「都市に住まう」ことについてお話をうかがいました。
ハートピア大会議室に集まった建築科および建築科二部の学生たち、外部からの聴講の方々を前に、静岡県の田舎町から東京に出て来られた先生ご自身の年代ごとに変わる都市とのかかわりから体験的な都市論が田舎と都市との比較のかたちで展開されました。ここはとても共感できました。
一方で、世界中に起っているメガシティ現象と中国などで行われている都市開発が紹介されました。「工学的なインフラで都市問題は解決されるのか?」という疑問が提出されました。
先生は人が都市に集まって住むという形態をとくに環境面から着目し、ほかの動物の集い棲息する姿との比較を念頭に、都市が環境にあたえる影響をさぐろうとされているように見えました。とくに世界中に急速に進展しているメガシティ(人工1000万人以上の大都市)の生態に眼を向け、現在は貧困大都市ジャカルタで人々がどのような住まいをしているか、調査研究をされているとか。その一方で、東京大学生産研究所教授として、子どもたちのまち探検隊による「まちリテラシー」(まちのいいところを読み取る)研究活動を続けておられます。
後半では、東京の代々木で行われている小学校の子供たちと大学院生による「まち探検隊」が村松博士から出される「指令」をもとに、自分たちの目で住んでいるまちを眺め、発見していく姿がDVDで紹介されました。まちに住まう人は子供たちの活動を通して、自分たちのまちを見直し、関心をもって、まちのいいところを認識するとともに、自分の住まい方を見つめ直す。このような態度が、高度経済成長期に効率的に労働力を収納する道具としてつくられた都市に欠けていた大事なものを補うのではないか?
そう気がついた時、これまでの都市論が建築家や都市計画家の「つくる」という発想から論じられ、また実際に開発されて来ているのに対し、村松先生は「住まう」という視点からこれからの都市を考えていく方法論を提示されているのだと理解しました。
ここで一旦、建築科二年生の「京都建築スクール」メンバーによる「都市のアクティビティのルール」という課題への取り組みについてプレゼンがありました。京都の下京区の一角を調査し、子どもたちの遊び場と道路の関係に着目、また用途地域規制(ルール)の掛け方を工夫することで、現代の都市、とりわけ課題に設定された地域にとって、より意味のある地区計画が可能になるのではないかという提案が示されました。
学生たちによるプレゼンに、村松先生は取組みの考え方を面白く拝見した。建築のかたち、ハードの側面にややかたよった提案なのではないかとコメント、最後に、「都市に住まうことはアートであり、哲学だ」と結論、講演を閉じました。
会場からの「都市の住まい方だけがアートなのか?」という質問に、いや、住まうことそのことがアートなのだと。ただ、田舎はそのような意識に開かれていない。都会の方が機会が多いことは確かだと答えられました。
ただ、アートと言われている内容が、先生の示されたもの(「市隠」 随園の生活)で言えば、それはある意味で、都会の中での自然、田舎的なものとの関わりに見出されたものであること、また一方で、田舎の農家や林家にわれ知らず、深いアーティスティックな生活をしている人もいる。両者の違いはその自覚のあり方、表現の仕方の違いにあるのであって、田舎に比較して都会がすぐれてアート的であるとは言えないのではないだろうか? (ちょっぴり疑問の建築科1年 マツイでした)
村松先生には梅雨の豪雨の中、お忙しいところを東京から往復して講演していただきました。学生たちにも私自身にもたいへん有意義な示唆を与えていただけたように思います。ありがとうございました。
(さのはるひと)
初夏というよりもすっかり夏の日差しで眩しい5月の土曜日、学校からほど近い京都御所のグランドで恒例のソフトボール大会を楽しみました。昼夜全学年からソフトボール大好き学生たちが集まり、チームをつくっておおいに楽しみました。
野球部出身が意外に多いんだと感心して選手の動きを見ておりました。若いので、まあ、思いっきり打ちます。そう広くもない御所のグランドで、球拾いがたいへん。でも、守備もうまくて、なかなかに締まった試合が見られます。
女子たちも打ったり守ったり。非番のときは御所の大きな楠に登って気持ちのよい五月の風を楽しんでいました。この写真、とてもいい風景だと思いませんか?学校案内の表紙にしてもいいな〜。(ちなみに、楠の枝が大きくたわんだり、幹が傾いているのは、彼女らが原因というわけではありません。念のため。)
最後に皆で記念写真!みな、いい顔しています。今年は珍しく、昼の1年生が優勝!ベテランと高校野球直結組との見事な連携でした。優勝記念に、全員に駄菓子詰め合わせを送ります!今日のMVPはここでもマツイ君でした。彼は何をやってもなかなかユニークです。夜間の4人の素晴らしい活躍にも拍手を送ります!今日は何と言っても、すばらしい天気でした。みなさん、お疲れさま! (腰が痛くてプレーに参加できなかったサノじーじでした)
タロちゃんです。お久しぶり!はしゃいでいるうちに2年生になり、あっという間に連休が過ぎて、春の遠足です。今年は明治村。素敵な建物がいっぱいあるので、楽しみにしていました。敷地内に68もの建物があって、とても見切れないらしいけど、たくさん見るよりも、ひとつひとつしっかり見たいな~。先生について行って、あれこれ教えてもらおう!
絶好の天気!真っ青な入鹿池と新緑、なんじゃもんじゃの白い花ががまぶしく映えています。
まずは京都にあった聖ヨハネ教会堂。教会建築家ガ―ディナーの設計で、1階がレンガ造、2階が木造の聖堂になっています。聖堂は低いところまで小屋が降りて来ているので、天井が高~~い教会のイメージとはずいぶん違って、とても親密な感じ。天井が竹のすのこ貼りになっていてどこか日本的です。やさしく包んでくれる空間がとても気に入りました。一度、正面の鐘楼に登ってみたいな~。
上の画像の右は大明寺聖パウロ教会堂の内部です。小さくて、とても繊細で素敵です。窓のデザインが可愛くて好き。明治村の教会にはほかに聖ザビエル天主堂もあって、ステンドグラスがきれいでした。ちょうど合唱のコーラスも聴けて、すっかり聴き入ってしまいました。
帰りのバスの中で、恒例の感想発表会。皆で一番印象に残った建物を挙げて、どこが気に入ったかを話します。人気がもっとも高かったのは、東松家住宅、芝川又右衛門邸、幸田露伴先生蝸牛庵、旧帝国ホテルの4つでした。
画像の左二つが東松家です。表から見ると3階建てですが、中で案内されて行くと、何階建てなのかわからなくなってしまいます。1階は油問屋の店構えでどっしりとしていますが、上に上がると、お茶室や数寄座敷が複雑に絡んでいて、とても町家の中にいるような気がしません。要所要所で通り庭の吹き抜けに面していて、光と階下の音を得られるようになっています。とても趣味のよい家ですが、子供たちやお年寄りはどうやって生活していたんでしょうね?
西宮市から最近移された芝川邸は、武田五一の設計による別荘で、和様が入り混じった不思議なデザイン。とても明治建築には見えません。これも3階建てのような4階建てのような。見所の多いたくさんの要素が入り混じった建物です。1階にある廂のテラスが農家の縁側とベランダを混ぜ合わせたような感じで、とても気持ちがいいです。 昔の写真にも、ここでみなさんが食事を食べている風景がありました。
文豪幸田露伴の隅田川畔の住宅、蝸牛庵は、とくに縁側のいごこちのよさが挙げられていました。間取りを見ても、明治期にこんな素敵な自由度の高い住宅ができていることに驚かされました。
フランク・ロイド・ライトの旧帝国ホテル玄関部の素晴らしさは、圧倒的。有機的に入り組んだ空間は、単純な壁がひとつも見当たらない一方で、びっくりするくらい平面な天井!水平と垂直の線とボリュームの見事なアンサンブル!とても手の込んだ彫り物がびっしり並んでいるのに、うるさくならないのは流石っす!!
どれもすばらしい建築で、こんな設計ができるようになったらHAPPY!なんですが、どう勉強していったらいいのでしょうね? (見れなかった建築がたくさんあって後ろ髪を引かれっぱなしのタロちゃんでした)
今年の夏の公開講義は、学校のすぐ近くにある平安女学院大学明治館と、聖アグネス教会堂を舞台に、京都工芸繊維大学の中川理先生にご案内と講演をいただきました。梅雨の間の晴天の日で、たいへん暑い中ではありましたが、学生と一般から110名余りの参加となりました。
まずは明治館を自由に見学してもらった後、中二階にある会議室に全員が集まり、明治館に関して平安女学院様の説明と中川先生の建築に関する解説をうかがいました。中川先生ご自身、平安女学院で教鞭を持たれ、この明治館の保存と活用に際して骨を折られたそうです。こうしてきちんと修復され、授業に利用されている姿を嬉しく拝見したとのこと。大阪の川口から学院が引越してきた明治28年当初は、まだ教会ができておらず、この会議室で礼拝が行われていたとのこと。この建物はかつて教会堂と同じガーディナーの設計と云われていたが、その後調べてみて、ハンセルの手によるものと判明した。全体はイギリスの住宅風で、簡素なクイーン・アン様式となっていること、いくぶんレンガを厚めに積んでいることから、95年の震災時にも何とか耐えられ、今回は大規模な修復工事にはいたらず、鉄骨の補強で耐震性を確保できたことなどが説明されました。
3時から隣にある聖アグネス教会堂に移り、京都聖公会聖アグネス教会の鈴木恵一様に教会の説明をいただいた後、オルガンと歌の演奏を聴きました。豪壮というよりは素朴で、左右の対称性も崩し、やわらかに温かく包みこんだ素晴らしい空間を、しばし楽しんでもらえたかと思います。
中川先生の「建築から読み解く古都の近代」は、明治初期にダウンした京都がどんなよみがえり方をしてきたかというお話です。御所も空っぽ同様になり、岩倉具視のはたらきで京都御苑として整備されることに。やがて周辺にあった大名や公家たちの屋敷もなくなって空いた土地に同志社、平安女学院という大学が移って来ます。アメリカ人建築家ガーディナー、イギリス人建築家ハンセルという二人が、ついで日本人建築家の武田五一、松室重光が活躍して、明治大正期の京都の御所周辺の景観ができあがって来た。平安女学院大学は同志社大学に次いで、これらの貴重な歴史的建築資料をもつ有数の大学ですね。
景観条例をもとにあらたな都市景観の創生を掲げる京都に、今の見た目の美しさのみならず、こうした歴史的な建築に読み込まれる意味の重要性がもっと強調されてよい、という感想をあらたにしました。中川先生、平安女学院様、聖アグネス教会の鈴木先生、参加されたみなさんのご協力に心から感謝いたします。ありがとうございました。 (さのはるひと)
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