去る7月14日、よしやまち町家にて「京北の木で家をつくろうネットワーク」主催で、林業家の和田善行さんを囲んで、今日の林業の現状や、和田さんが徳島の杉でおこなっている葉枯らし乾燥についてお話を伺う会をおこないました。同ネットワークの住吉座長の呼びかけにより、メンバーをはじめとして、学校にゆかりのある木の家の設計者さん、工務店さんなど20余名が集まりました。三澤文子さんも駆けつけて来られました。
さの:つい先頃発刊された「住宅建築8月号」で田中文男棟梁特集がありましたが、その中に、1983年、田中文男棟梁と現代計画研究所の藤本昌也氏が今日の木造住宅建築で主流となった「民家型構法の家」を始めた経緯が書かれています。藤本所長の下、実施設計を担当したのが、当時入所したての三澤文子さんだったのですが、その中に、それまで庶民の木造住宅に米松を使っていた棟梁に、 和田さんが日本の杉を使うよう申し出たとありますね。それ以後、民家型構法の家は国産の杉を生かすモデルとして登場することになりました。もう30年近く前だから、30歳そこそこです。そんな若い頃から活動を始めておられたんですね。
和田:当時はまだ杉は横に使えるとは誰も考えてなかった。梁は松だったんです。でも、その頃から、松は松食い虫にやられて減少しつつあった。松は車枝といって、同じところから何本も枝が出るので、節が同じところに来る。梁にしたときに、そこが致命的な欠陥となるわけです。杉はそこに行くと、枝は互い違いに出て、節は重ならない。柔らかいけれども、有利な点もある。
ただ、当時はまだ杉の強度データがなかった。それで林業試験場に杉の試験体を数百本も持っていって、強度を測ってもらった。
さの:和田さんはTSウッドという協同組合をつくられたけれども、和田さんの家自体はどのくらいの山を持っているのですか?
和田:私の家はざっと500haです。年間2500m3を出して、その内500m3をTSブランドとして出しています。製材をやっている仲間と一緒に組合をつくったので、私は製材はやらない。丸太と乾燥をやっています。最初は伐採指示書を山のチームに出して伐ってもらっていたけど、いろいろな材寸を考えて選木して伐採するのは大変だったので、途中から、システムを変えたんです。末口24〜32cmの材で、木によって6、8、10、12mというように、できるだけ1本の木から1本の丸太を出すという指示に変えた。
さの:葉枯らし乾燥は四国では普通に行われていた?
和田:四国の山は急峻で、道がない。架線集材でしか材を集められない。それも500mとか、1000mとかの長い距離を運ぶんです。そのために、葉枯らしで軽くする。木を山側に倒すのも、下に倒すと、衝撃で木が折れてしまうから。だから、われわれがやっている葉枯らし乾燥の流儀が全国どこでも同じにする理由はないと思います。
夏伐りと冬伐りと2回行うんですが、夏は乾燥が早いので、1、2ヶ月でいい。冬は雪が融けるまで置く。トラックで山から運ぶのにも、葉枯らしで軽くなるとその分、たくさん運べるので、環境にもいいでしょう。山から降ろした丸太は製材して、桟積みして天然乾燥させる。葉枯らし材はこの期間が短くて済む。でも、伐採から出荷まで1年はかかる。
葉枯らしは、いわば、半殺しなんでしょうね。木は伐られても、まだ生きていると錯覚して、光合成もしているし、水を上げようとするし、虫や菌がつかないように頑張っているんだと思う。
住吉:葉枯らしは葉が枯れるまでしますか?
和田:いや、しおれる程度までしかならないです。色が変わるまででは長過ぎると思います。
住吉:九州などでは葉枯らしではなく、丸太同士を重ねて桟積みにして乾燥させる(輪掛け乾燥)業者もいますね。あれはどうですか?
和田:風の通るいいヤードが山の中にあって、すごい量を積んで乾燥させて出しています。でも、皮付きの丸太のままで長時間乾燥させているので、虫が入る。大分製材で白太を削っているようです。僕の考えでは、平角材(梁)の強度は上下に年輪の詰まった白太の部分が来るからいいと思っているので、そこを落してしまうのは、もったいない。
さの:昨今、材木の価格が落ちてしまって、林業はたいへんな状況だと思いますが。
和田:TS ウッドをやり出した頃、すでに材木の値段が落ち出していて、危機感をもっていたんだけど、ここまで落ちるとは予想していなかった。かつて立ち木価格でm3当り2万円以上あったのに、今は 2500円ぐらいまで落ちてしまった。1/10くらいです。TS を始めた頃は、四国の杉は板が主だったけど、合板にやられ出した。それで2番玉から平角材を取るように考えた。元木は造作用にいい値で売れたから、2番玉の有効利用だった。でも、今は元木も同じくらい安くなってしまった。そこへ台風による被害などが出て、林業は本当に困ったことになってます。
この値段では、もう皆伐はできない。造林に費用が出せないから。間伐だけですね。一番いいのは伐らないことですが、収入がなくなるので、そうもいかない。国際的には、以前から ほぼ100$/m3なんですが、最近、150$ぐらいに上がって来ているようです。
さの:にもかかわらず、国産材が出回らない理由はなんでしょうか?
和田:山に木はあるのに、使えない。乾燥が問題です。乾燥材がすぐに出せるようになっていれば、事情はずいぶんよくなると思います。林業をめぐる問題として、1に、今はエネルギー転換が言われ、バイオマス利用が一つの手ですが、補助金は大規模工場にしか出ない。もっと細かなバイオマス利用のシステムとその促進が望まれます。2に、山主が自分の山がわからない。小さな山林所有形態
のままではどうにもならない。道もつかないし、山林経営をしようという気にもならず、放置されるだけです。3に、このような状態のまま自給率を上げて行けば、山は疲弊してくる。
さの:三澤文子さん、これから京都で活躍されることになるとのこと、おおいに期待しています。
三澤:木の家の設計者としてやって来ていますが、これからは個人の施主による個人住宅よりも、法人とか地方自治体による寮とか集合住宅のようなたくさん木を使うような仕事も仕掛けて行きたいと思っています。今日はこんな機会で 京都には京都の伝統ある林業もあるということも知りましたし、京北の林家の人たちと知り合えたのがとてもよかった。林業をめぐる状況は悪いことばかりでもないはず。魅力ある木造を元気で進めて行きたいと思っています。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
三澤文子さんには、学校の市民講座「木造の魅力」の12月10日土曜日13;30〜
ハートピア京都 大会議室にて講演をお願いしております。
「環境時代の木造住宅 〜地域の山の木を活用した長寿命の家づくり」
参加は無料です。どうぞお越し下さい。問合せ申込みは本校まで
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
(写真1、2は住吉豊撮影)さのはるひと
PR
はじめまして、1年のナカニシです。今年の木匠塾のリーダーをつとめます。今日は先週おこないましたプレ木匠塾という紹介イベントの報告です。1年生ばかり14名の参加でした。3台の車とバイク2台で出かけ、京北の小塩(おしお)という山里に着きました。なにやら合宿所があり、さっそく、BBQの準備におおわらわ。ぼくたちはたくさんある雨戸を開けて回りました。
途中、周山にあるウッディという道の駅で新鮮な野菜をたんと買いました。ズッキーニが美味しそう。和牛の肉ばかりでは予算オーバーですので、半分以上は輸入もの。(後で知ったけれども、輸入ものの方が放射能汚染の心配がないらしい。)お肉の後は焼きそば。
お腹がふくれたところで、皆で座ってミーティングです。予定していた陶芸家さんのギャラリーは今年もまだ手がつけられないとのこと。残念。さくねんのおつづきで、黒田のSさんの家の母屋と離れを結ぶ庇をつくるのだそうです。
急いで後片付けをして、目の前に見える山の反対側の黒田町にあるSさんの家に。昨年の仕事を見ました。今年のもなかなかたいへんそうだ。でも、Sさんの仕事では、ご飯にありつけるので、それは嬉しい。
つづいて、山国のMさんの家に行きました。先輩のMさんが借りている立派な家の門が倒れています。これを起こして修理するのだそうです。後半日程で、別働隊を組織することになるのかな?M
さんは日曜日しか休めないので、日曜日にここで作業すれば、ご飯にありつけるかも。そうしよう。
最後に、昨年、一昨年と先輩たちが卒業制作で建設した京北合併記念の森の管理棟と研修棟を見に行きました。まったく山の中ですね〜。二つの建物とも、すごい仕事に見えました。これはたいへんだ〜。ぼくたちには無理って感じですね。
木匠塾合宿は、前半を8月の3日〜10日と決めました。みんなびびってしまったのか、初日から参加するのはぼくたち3名だけ??しかも、誰も車も免許もない。自転車で移動??買い物するにも片道13kmほどあるんだって。どうするんだろう????????
(めちゃ心配な楽観主義リーダーナカニシでした)
今日は、伝統建築研究科の蘆花浅水荘の見学です。13:00にJR膳所駅に集合し、京阪の石山坂本線で瓦ヶ浜駅下車、そこから歩いて、現地に向かいました。
現地では、山元春挙の孫にあたる御当主の山元様そして三宅様による詳しいご案内がありました。
それでは概要を記しておきましょう。
蘆花浅水荘は京都画壇で活躍した山元春挙(やまもと しゅんきょ、1872~1933)の別荘として、大正3(1914)年から10年頃にかけて建築されたものです。名前の由来は唐の詩人司空曙(しくうしょ)の「江村即事」から付けられたものです。
書院の一の間は、北西に二畳の上段床、つまり残月床を備えています。表千家の残月亭を意識したものでしょうが、随分オリジナリティ豊かな造形です。床柱は省かれ、床框(とこがまち)には絞り丸太で上面には黒塗りが施されています。鴨居(かもい)の上には丸太長押(なげし)が打ち付けられ、天井も高くなっています。ここから庭を眺めると、ゆるやかな起伏をもった芝の小山が湖に連続する、はずでしたでしょうが、今では湖岸道路で分断されています。さらに湖越しに近江富士とも呼ばれる三上山が望めます。これも残念ながら現在では対岸のショッピングセンターによって一部が隠されていますが。ちなみに筆者は大津市民で、これらの施設の恩恵を受けている身としては、少々複雑な思いです。
書院の北東に連なるところに「莎香亭」とよばれる六畳間があります。正面の袋床と床脇に円窓が並びます。床の間の内側に棚を仕付けているのは珍しい(1月に見学に訪れた廣誠院にもありましたが)ものです。またこの部屋に隣り合って、というか付属して小室の「無尽蔵」があります。画伯が書斎にしたところだといいます。
「無尽蔵」とは中庭を挟んで西側に「竹の間」があります。床柱には角の竹、その上部の落掛には途中で曲がった竹が組み合わされています。また床の間の反対側には付書院があり、そこには円窓が開けられ、芒(すすき)がデザインされています。「月に芒」というところでしょうか。
ここでは全てをご紹介することができませんでしたが、型にはまらない数寄の意匠がちりばめられたこの建物は、オーソドックスな茶室を元にした数寄の造形とは違った方向性を持つもので、大正時代の「自由」な伝統建築をよく表現しています。機会があればまた訪れたいと思います。
現地では、山元春挙の孫にあたる御当主の山元様そして三宅様による詳しいご案内がありました。
それでは概要を記しておきましょう。
蘆花浅水荘は京都画壇で活躍した山元春挙(やまもと しゅんきょ、1872~1933)の別荘として、大正3(1914)年から10年頃にかけて建築されたものです。名前の由来は唐の詩人司空曙(しくうしょ)の「江村即事」から付けられたものです。
釣罷帰来不繋船
江村月落将堪眠
縦然一夜風吹去
只在蘆花浅水辺
江村月落将堪眠
縦然一夜風吹去
只在蘆花浅水辺
釣を終えて家に帰ってきたが、船をつないでおくのを忘れてしまった。水辺の村にも月が落ちるころとなり眠くなってきた。もし一晩中風が吹いて船が流されても、せいぜい芦の花が咲いている浅瀬あたりであろう。
というような意味でしょうか。のんびりした心地にさせてくれる詩ですね。この建物がつくられた当時、このあたりでは水辺に蘆(あし)が群生していたといいます(昭和30年頃までは保たれていたようです)。残念ながら現在では、随分と様変わりしていますが。
さて、建物の概要について記しておきましょう。この敷地内には、中心建物としての書院を含む主屋、持仏堂、茶室「穂露」から成ります。書院の一の間は、北西に二畳の上段床、つまり残月床を備えています。表千家の残月亭を意識したものでしょうが、随分オリジナリティ豊かな造形です。床柱は省かれ、床框(とこがまち)には絞り丸太で上面には黒塗りが施されています。鴨居(かもい)の上には丸太長押(なげし)が打ち付けられ、天井も高くなっています。ここから庭を眺めると、ゆるやかな起伏をもった芝の小山が湖に連続する、はずでしたでしょうが、今では湖岸道路で分断されています。さらに湖越しに近江富士とも呼ばれる三上山が望めます。これも残念ながら現在では対岸のショッピングセンターによって一部が隠されていますが。ちなみに筆者は大津市民で、これらの施設の恩恵を受けている身としては、少々複雑な思いです。
書院の北東に連なるところに「莎香亭」とよばれる六畳間があります。正面の袋床と床脇に円窓が並びます。床の間の内側に棚を仕付けているのは珍しい(1月に見学に訪れた廣誠院にもありましたが)ものです。またこの部屋に隣り合って、というか付属して小室の「無尽蔵」があります。画伯が書斎にしたところだといいます。
「無尽蔵」とは中庭を挟んで西側に「竹の間」があります。床柱には角の竹、その上部の落掛には途中で曲がった竹が組み合わされています。また床の間の反対側には付書院があり、そこには円窓が開けられ、芒(すすき)がデザインされています。「月に芒」というところでしょうか。
ここでは全てをご紹介することができませんでしたが、型にはまらない数寄の意匠がちりばめられたこの建物は、オーソドックスな茶室を元にした数寄の造形とは違った方向性を持つもので、大正時代の「自由」な伝統建築をよく表現しています。機会があればまた訪れたいと思います。
よしやまち町家研究室のセキです。夏休みに入る最後の授業日が台風第6号の影響で休校となりましたが、昼頃には台風は東に移動して、普段と何一つ変わらぬ京都でした。この日は東京の女子中学生4人が荒壁塗り体験にやってきます。
荒壁塗り体験は、通常は壁塗り練習用のフレームに竹小舞を編みんだものに塗ってもらうのですが、今回はちょうど近所にあるIKG町家に塗れそうな壁があったので、そこで体験をさせてもらうことに。前日、ここの作業担当の男の子たちと片付け作業。余分な土を剥がし、水合わせして捏ねてもらいました。台風の運んで来る南の熱っぽい空気の中、汗と泥でぎとぎとに。みんな、お疲れさまでした。
さて、翌日、この辺りの古い町家が立ち並ぶ風情にすっかり喜んだ、 可愛らしい女の子たちが登場。改修中のぼろ長屋に足を踏み入れて、...。でも、逃げ出さなかったですね〜。サノ先生の説明を受けて、まずは塗る小舞と土をブラシでよく洗い、濡らし、土がよく馴染むようにします。コテ板とコテを渡され、荒土を塗り付けていきます。誰でも最初は驚くのですが、土を載せたコテ板がずっしり重い!
蒸し暑い中、かがんで土をつけて行くのはたいへん。でも汗びっしょりになりながら、投げ出さず、一生懸命塗ってくれました。段々、無口になって行きます。疲れたのかな?
1/3ほどを塗ったあたりで、サノ先生とタロちゃんが替わりました。中学生たちは一旦、手を洗い、 お茶を飲んで休憩タイム。先生たちがどんどん塗るのを見学し、2/3まで進んだところで、交替。残りをがんばって塗り上げました。
やったね!
ちり掃除をして、道具を洗ったところで、記念写真です。みんないい顔!私たちスタッフも加わって、撮影。みなさん、本当にお疲れさまでした。
よしやまち町家に戻り、しばし、お茶と質問タイム。女の子たち、町家改修体験とよしやまち町家がすっかり気に入ったので、また来たいとのこと。嬉しいですね。スタッフも苦労した甲斐がありました。IKG町家の改修が終わる頃に、ぜひ遊びに来てくださいね。
「いつ頃になりそうですか?」
「さあ、冬になりそうです。」
冬休みか、卒業旅行か、その頃にまた来ま〜すと、元気よく帰って行きました。
(私もあんな時代があったと振り返るセキでした)
荒壁塗り体験は、通常は壁塗り練習用のフレームに竹小舞を編みんだものに塗ってもらうのですが、今回はちょうど近所にあるIKG町家に塗れそうな壁があったので、そこで体験をさせてもらうことに。前日、ここの作業担当の男の子たちと片付け作業。余分な土を剥がし、水合わせして捏ねてもらいました。台風の運んで来る南の熱っぽい空気の中、汗と泥でぎとぎとに。みんな、お疲れさまでした。
さて、翌日、この辺りの古い町家が立ち並ぶ風情にすっかり喜んだ、 可愛らしい女の子たちが登場。改修中のぼろ長屋に足を踏み入れて、...。でも、逃げ出さなかったですね〜。サノ先生の説明を受けて、まずは塗る小舞と土をブラシでよく洗い、濡らし、土がよく馴染むようにします。コテ板とコテを渡され、荒土を塗り付けていきます。誰でも最初は驚くのですが、土を載せたコテ板がずっしり重い!
蒸し暑い中、かがんで土をつけて行くのはたいへん。でも汗びっしょりになりながら、投げ出さず、一生懸命塗ってくれました。段々、無口になって行きます。疲れたのかな?
1/3ほどを塗ったあたりで、サノ先生とタロちゃんが替わりました。中学生たちは一旦、手を洗い、 お茶を飲んで休憩タイム。先生たちがどんどん塗るのを見学し、2/3まで進んだところで、交替。残りをがんばって塗り上げました。
やったね!
ちり掃除をして、道具を洗ったところで、記念写真です。みんないい顔!私たちスタッフも加わって、撮影。みなさん、本当にお疲れさまでした。
よしやまち町家に戻り、しばし、お茶と質問タイム。女の子たち、町家改修体験とよしやまち町家がすっかり気に入ったので、また来たいとのこと。嬉しいですね。スタッフも苦労した甲斐がありました。IKG町家の改修が終わる頃に、ぜひ遊びに来てくださいね。
「いつ頃になりそうですか?」
「さあ、冬になりそうです。」
冬休みか、卒業旅行か、その頃にまた来ま〜すと、元気よく帰って行きました。
(私もあんな時代があったと振り返るセキでした)
7月13日
ナベ :明日は宇多野のS邸ウッドデッキ工事だ。
レイ :床板張りをやるんすね。
オ〜タ:板はビスで打つんすか?
サノ :いや、3寸釘で打とう。頭をつぶしてくれ。
ナベ :何本ですか?
サノ :2本ずつにしよう。自分たちで数えなさい。
ナベ :土台が5本、板が11枚だったかな、2本ずつで、え〜、わかんない。
オ〜タ:4、5本は短いので、100本くらいっすね。
その日は暗くなるまで釘を叩いていました。
7月14日
サノ :まず板の面を見て、どこにどの板を張るか、順番を決めるんだ。
レイ :手前に白太がちの板、向こうに行くほど赤味の板っすね?
ナベ :なんで?
オ〜タ:向こう側に行く程、雨がかかりやすいので、腐れに強い赤味をもって行くんでしょう。
ナベ :おお、な〜るほど。
サノ :節の少ないきれいなものを手前に、最後の1、2枚もきれいな板にしよう。
隙間を10mm空けると、ちょうどよさそうなので、それで割付ける。
レイ :OKっす。
サノ :張る前に鉋で面を取るのを忘れずに。
レイ :OKっす。
ナベ :ぼくらは破風を付けます。
オ〜タ:あれ、板が短かった。
サノ :仕方ない。 注文しなおそう。君たちはすだれ掛をつくってくれぃ。
土曜日に仕上をやってしまおう。雨樋もつくりなおさねばならんからね。
てなことで、7月16日土曜日 朝からめちゃくちゃ暑い日です。
オ〜タ:すだれ掛を見て下さい。
サノ :低すぎるので、あと4寸、上げよう。
ぐらぐらするから、2本、振れ止めをつけて。
ナベ :すだれを掛けるL型のねじ、ヨー釘っていうんだ。裏につけるんすね。
オ〜タ:先生、すだれの長さがずいぶん違います。
サノ :ありゃりゃ。さすがは中国製。いい加減だな〜。6cm以上も違う。
1本270円なんだから、文句も言えない。1000円出すから、もう少し
マシなのをつくってくれればいいのに。
ナベ :やれやれ、やっとすだれ掛ができた。お茶にしよ。
オ〜タ:破風はこんな感じでいいっすか?
サノ :うん、いいよ。先を1寸5分出す。
ナベ :東側は桁丸太に当たるんですけど。
サノ :この厚紙に当りの癖を拾って、カーブ定規をつくるんだ。
ナベ :それを板に写してのみで削るんですね。了解。
サノ :カーブができたら、一度合わせてみて、確認してから先の長さを取るんだよ。
癖を取り直して、お昼。午後から掃除と、前の鉄骨の屋根を解体します。
ナベ :やっと完成だよ。そう言えば、おれたち完成させたの、初めてだよな。
オ〜タ:(床を雑巾がけしながら)そうっすね。
ナベ :なんか、達成感、かんじるなあ。
オ〜タ:(雑巾を洗いながら)そうっすね。
ナベ :満足、満足。
サノ :もっと濡らして拭いてやれば、玄翁の叩き跡のへこみがもどるよ。
オ〜タ:ナベさんのつけた傷がもどりません。
ナベ :俺も拭くわ。
オ〜タ:土台のときはそんなに広く感じなかったけど、板を張ると、広いっすね。
サノ :そうだね、端をすっきり抜いているし、庭との連続感が出て来るんだろうね。
本当はもう1尺ほど軒を伸ばしたかったな。
ポリカの屋根なら伸ばしても室内が暗くならなくて、いい。
オ〜タ:洗濯ものを干すのにもいいっすね。
ナベ :これで完成ですね。いい勉強になりました。
サノ :初めての作業にしては、上出来です。よくやってくれました。
オ〜タ:あちこち失敗ばかりでした。
サノ :失敗で覚えるというのは、本当にそうだよね。
ご主人:本当にごくろうさまでした。北山杉の床柱でつくってくれるとは思いませんでした。
サノ :これはある数寄屋の工務店さんからいただいたもので、結構、いいものだと思います。
今は安くなってしまいましたが、購入された頃は高かったでしょうね。
いい機会を与えていただき、ありがとうございました。
ナベ オ〜タ:お世話になりました。ありがとうございました。
ナベ :これでやっとウッドデッキ篇はおしまい。
次はやっと鷹峯に戻れるぞ!
オ〜タ:鷹峯はタダさんががんがんやってますよ。ナベさん、しばらくグンマに
帰るんでしょう?留守の間にショウギもやってしまいます。
ナベ :そうだった。帰って来るまで、仕事残しておいてね。
(同窓会があるので、ちょっと仙台に帰る予定のオ〜タでした)
ナベ :明日は宇多野のS邸ウッドデッキ工事だ。
レイ :床板張りをやるんすね。
オ〜タ:板はビスで打つんすか?
サノ :いや、3寸釘で打とう。頭をつぶしてくれ。
ナベ :何本ですか?
サノ :2本ずつにしよう。自分たちで数えなさい。
ナベ :土台が5本、板が11枚だったかな、2本ずつで、え〜、わかんない。
オ〜タ:4、5本は短いので、100本くらいっすね。
その日は暗くなるまで釘を叩いていました。
7月14日
サノ :まず板の面を見て、どこにどの板を張るか、順番を決めるんだ。
レイ :手前に白太がちの板、向こうに行くほど赤味の板っすね?
ナベ :なんで?
オ〜タ:向こう側に行く程、雨がかかりやすいので、腐れに強い赤味をもって行くんでしょう。
ナベ :おお、な〜るほど。
サノ :節の少ないきれいなものを手前に、最後の1、2枚もきれいな板にしよう。
隙間を10mm空けると、ちょうどよさそうなので、それで割付ける。
レイ :OKっす。
サノ :張る前に鉋で面を取るのを忘れずに。
レイ :OKっす。
ナベ :ぼくらは破風を付けます。
オ〜タ:あれ、板が短かった。
サノ :仕方ない。 注文しなおそう。君たちはすだれ掛をつくってくれぃ。
土曜日に仕上をやってしまおう。雨樋もつくりなおさねばならんからね。
てなことで、7月16日土曜日 朝からめちゃくちゃ暑い日です。
オ〜タ:すだれ掛を見て下さい。
サノ :低すぎるので、あと4寸、上げよう。
ぐらぐらするから、2本、振れ止めをつけて。
ナベ :すだれを掛けるL型のねじ、ヨー釘っていうんだ。裏につけるんすね。
オ〜タ:先生、すだれの長さがずいぶん違います。
サノ :ありゃりゃ。さすがは中国製。いい加減だな〜。6cm以上も違う。
1本270円なんだから、文句も言えない。1000円出すから、もう少し
マシなのをつくってくれればいいのに。
ナベ :やれやれ、やっとすだれ掛ができた。お茶にしよ。
オ〜タ:破風はこんな感じでいいっすか?
サノ :うん、いいよ。先を1寸5分出す。
ナベ :東側は桁丸太に当たるんですけど。
サノ :この厚紙に当りの癖を拾って、カーブ定規をつくるんだ。
ナベ :それを板に写してのみで削るんですね。了解。
サノ :カーブができたら、一度合わせてみて、確認してから先の長さを取るんだよ。
癖を取り直して、お昼。午後から掃除と、前の鉄骨の屋根を解体します。
ナベ :やっと完成だよ。そう言えば、おれたち完成させたの、初めてだよな。
オ〜タ:(床を雑巾がけしながら)そうっすね。
ナベ :なんか、達成感、かんじるなあ。
オ〜タ:(雑巾を洗いながら)そうっすね。
ナベ :満足、満足。
サノ :もっと濡らして拭いてやれば、玄翁の叩き跡のへこみがもどるよ。
オ〜タ:ナベさんのつけた傷がもどりません。
ナベ :俺も拭くわ。
オ〜タ:土台のときはそんなに広く感じなかったけど、板を張ると、広いっすね。
サノ :そうだね、端をすっきり抜いているし、庭との連続感が出て来るんだろうね。
本当はもう1尺ほど軒を伸ばしたかったな。
ポリカの屋根なら伸ばしても室内が暗くならなくて、いい。
オ〜タ:洗濯ものを干すのにもいいっすね。
ナベ :これで完成ですね。いい勉強になりました。
サノ :初めての作業にしては、上出来です。よくやってくれました。
オ〜タ:あちこち失敗ばかりでした。
サノ :失敗で覚えるというのは、本当にそうだよね。
ご主人:本当にごくろうさまでした。北山杉の床柱でつくってくれるとは思いませんでした。
サノ :これはある数寄屋の工務店さんからいただいたもので、結構、いいものだと思います。
今は安くなってしまいましたが、購入された頃は高かったでしょうね。
いい機会を与えていただき、ありがとうございました。
ナベ オ〜タ:お世話になりました。ありがとうございました。
ナベ :これでやっとウッドデッキ篇はおしまい。
次はやっと鷹峯に戻れるぞ!
オ〜タ:鷹峯はタダさんががんがんやってますよ。ナベさん、しばらくグンマに
帰るんでしょう?留守の間にショウギもやってしまいます。
ナベ :そうだった。帰って来るまで、仕事残しておいてね。
(同窓会があるので、ちょっと仙台に帰る予定のオ〜タでした)
- メニュー
- 最新記事
(07/28)
(07/10)
(07/02)
(06/17)
(06/16)
- 京都建築専門学校
京都市のど真ん中府庁前で、創立60年の伝統を誇る小さいけれど真面目な建築学校です。ユニークで色々な経験を持った先生たちが揃っています。平成24年度入学願書受付中!
- ブログ内検索
Copyright © 京都建築専門学校 ニュースレター All Rights Reserved.