今日は、伝統建築研究科の蘆花浅水荘の見学です。13:00にJR膳所駅に集合し、京阪の石山坂本線で瓦ヶ浜駅下車、そこから歩いて、現地に向かいました。
現地では、山元春挙の孫にあたる御当主の山元様そして三宅様による詳しいご案内がありました。
それでは概要を記しておきましょう。
蘆花浅水荘は京都画壇で活躍した山元春挙(やまもと しゅんきょ、1872~1933)の別荘として、大正3(1914)年から10年頃にかけて建築されたものです。名前の由来は唐の詩人司空曙(しくうしょ)の「江村即事」から付けられたものです。
書院の一の間は、北西に二畳の上段床、つまり残月床を備えています。表千家の残月亭を意識したものでしょうが、随分オリジナリティ豊かな造形です。床柱は省かれ、床框(とこがまち)には絞り丸太で上面には黒塗りが施されています。鴨居(かもい)の上には丸太長押(なげし)が打ち付けられ、天井も高くなっています。ここから庭を眺めると、ゆるやかな起伏をもった芝の小山が湖に連続する、はずでしたでしょうが、今では湖岸道路で分断されています。さらに湖越しに近江富士とも呼ばれる三上山が望めます。これも残念ながら現在では対岸のショッピングセンターによって一部が隠されていますが。ちなみに筆者は大津市民で、これらの施設の恩恵を受けている身としては、少々複雑な思いです。
書院の北東に連なるところに「莎香亭」とよばれる六畳間があります。正面の袋床と床脇に円窓が並びます。床の間の内側に棚を仕付けているのは珍しい(1月に見学に訪れた廣誠院にもありましたが)ものです。またこの部屋に隣り合って、というか付属して小室の「無尽蔵」があります。画伯が書斎にしたところだといいます。
「無尽蔵」とは中庭を挟んで西側に「竹の間」があります。床柱には角の竹、その上部の落掛には途中で曲がった竹が組み合わされています。また床の間の反対側には付書院があり、そこには円窓が開けられ、芒(すすき)がデザインされています。「月に芒」というところでしょうか。
ここでは全てをご紹介することができませんでしたが、型にはまらない数寄の意匠がちりばめられたこの建物は、オーソドックスな茶室を元にした数寄の造形とは違った方向性を持つもので、大正時代の「自由」な伝統建築をよく表現しています。機会があればまた訪れたいと思います。
現地では、山元春挙の孫にあたる御当主の山元様そして三宅様による詳しいご案内がありました。
それでは概要を記しておきましょう。
蘆花浅水荘は京都画壇で活躍した山元春挙(やまもと しゅんきょ、1872~1933)の別荘として、大正3(1914)年から10年頃にかけて建築されたものです。名前の由来は唐の詩人司空曙(しくうしょ)の「江村即事」から付けられたものです。
釣罷帰来不繋船
江村月落将堪眠
縦然一夜風吹去
只在蘆花浅水辺
江村月落将堪眠
縦然一夜風吹去
只在蘆花浅水辺
釣を終えて家に帰ってきたが、船をつないでおくのを忘れてしまった。水辺の村にも月が落ちるころとなり眠くなってきた。もし一晩中風が吹いて船が流されても、せいぜい芦の花が咲いている浅瀬あたりであろう。
というような意味でしょうか。のんびりした心地にさせてくれる詩ですね。この建物がつくられた当時、このあたりでは水辺に蘆(あし)が群生していたといいます(昭和30年頃までは保たれていたようです)。残念ながら現在では、随分と様変わりしていますが。
さて、建物の概要について記しておきましょう。この敷地内には、中心建物としての書院を含む主屋、持仏堂、茶室「穂露」から成ります。書院の一の間は、北西に二畳の上段床、つまり残月床を備えています。表千家の残月亭を意識したものでしょうが、随分オリジナリティ豊かな造形です。床柱は省かれ、床框(とこがまち)には絞り丸太で上面には黒塗りが施されています。鴨居(かもい)の上には丸太長押(なげし)が打ち付けられ、天井も高くなっています。ここから庭を眺めると、ゆるやかな起伏をもった芝の小山が湖に連続する、はずでしたでしょうが、今では湖岸道路で分断されています。さらに湖越しに近江富士とも呼ばれる三上山が望めます。これも残念ながら現在では対岸のショッピングセンターによって一部が隠されていますが。ちなみに筆者は大津市民で、これらの施設の恩恵を受けている身としては、少々複雑な思いです。
書院の北東に連なるところに「莎香亭」とよばれる六畳間があります。正面の袋床と床脇に円窓が並びます。床の間の内側に棚を仕付けているのは珍しい(1月に見学に訪れた廣誠院にもありましたが)ものです。またこの部屋に隣り合って、というか付属して小室の「無尽蔵」があります。画伯が書斎にしたところだといいます。
「無尽蔵」とは中庭を挟んで西側に「竹の間」があります。床柱には角の竹、その上部の落掛には途中で曲がった竹が組み合わされています。また床の間の反対側には付書院があり、そこには円窓が開けられ、芒(すすき)がデザインされています。「月に芒」というところでしょうか。
ここでは全てをご紹介することができませんでしたが、型にはまらない数寄の意匠がちりばめられたこの建物は、オーソドックスな茶室を元にした数寄の造形とは違った方向性を持つもので、大正時代の「自由」な伝統建築をよく表現しています。機会があればまた訪れたいと思います。
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