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[学校内のあれこれをお伝えします!]
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 まずは、この町家にとって大事な耐力要素である土壁を健全にしようと、壁を覆っている杉板を剥がしてもらったところ、やはり中はぼろぼろ、ほとんど水平力に耐えられる状況にはない。これからの作業にも危ないので、とりあえず、貫板を持って行って、仮筋交いに打ってもらった。  町家の場合、梁間方向の壁は入れやすいので、小舞を編み、土を塗り直してやれば、そこそこは大丈夫なのだが、桁行き方向つまり間口の方向にはなかなか壁を入れ難い。たまたま、この町家にはいくつか間口側にも壁が入っているので、それをきちんと固めることにした。いつものように、出窓の脇の戸袋の壁も土壁で固めることに。

  小舞やえつり竹、藁縄、藁すさ、練り土などを木村棟梁に頼んで持って来てもらい、ついでに、この町家の補強・修繕のアドバイスをいただいた。棟梁、来るなり、正面を睨んで、

>真ん中の柱が3寸近く沈下していて、大事な人見梁が困っている。これを揚げたいなあ。
>でも棟梁、その人見梁、柱にずいぶん食い込まれているよ。
>ずいぶんアリにやられている。そうか、これは米松だな。
>あちこちに米松が使われていて、その分、アリの被害が大きいようです。
>古い町家と思ったけれども、米松がこれだけ使われているのを見ると、大正〜昭和まで下るかなあ。  

中を覗いて、
>何とも不思議な木組みになっているなあ。織屋?にしても変だ。
>何回か改修されているのかもしれませんね。
>ミセの間はもともとどうなっていたのか、この框は後入れかな?
>二階のささら(床梁)がずいぶん低いので、もともと土間だった可能性もありますね。でも、敷地が傾斜しているために、北側の柱の足元が石垣になっていて、室内に見えてしまう。この部分だけは物入れになっていたかも。
>あちこちの納まりから見ると、最初から床が張られていたようだ。今回は土間にして使うのなら、框は取る?
>いや、ここは敢えて、取らずに残して跨いでもらおうと勧めているんです。
>床の変形を考えると残しておきたいけれども、それは変でしょう。お客さんは土間でそのまま入れた方が。
>でも、それでご覧になられた人に?が生まれて、そこから客と主人との対話が生まれるでしょう。便利さよりも、この家の健康を考えたという主張があり得るかと。

 北西の隅柱がほとんどアリにやられて、危ない状況にあります。棟梁、これをどうしたらいい?
>最小限の予算でやるのだから、添え柱としよう。内側に4寸角を建てて、外側に1寸板を建てて、ボルトで挟み込む。>なるほど。根絡みもそれに噛ませればいいですね。戸袋に入れる土壁のための貫はどうしよう?


>それも隅柱に穴を開けても効かないから、1寸厚の板を張付けて、それに貫を仕込めばいい。
 
 というようなやり取り。さすがに百戦錬磨の木村棟梁です。最後に、皆で記念写真。さあ、これからいよいよ改修が始まります。学生チームのまとめはコバヤシ君に頼みました。連休までに下地を終わらせましょう。 
  (さのはるひと)




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 4月に入り、新学期が始まりました。今年も町家に興味をもった頼もしい新入生がぞろぞろと来てくれました。嬉しいことです。台湾からの留学生あり、ツクバ系大学卒、元大工、体育会系、お母さん、芸術家、めちゃんこ元気な女子生徒、何でもアリですね。今年も楽しい年になりそうです。

 さて、3月にわがよしやまち町家研究室に相談に見えた青年たち、上京区の今日庵近くの古い町家を間借りして、古本屋をしたいとか。どれどれと、見に行きました。





 何だか古いタイプの町家です。あちこち相当に傷んでいて、う〜〜ん、これはたいへんだなあ。沈下も甚だしく、雨が回り込み、腐朽やシロアリの被害が相当です。材も、使い回し材が多く、前にここを借りていた人の扱いも相当にいただけない。はっきり言って、もうあきらめた方がよさそうです。

 でも、でも、奧を見ると、奧に広い土間、変な間取り!今までに見たことがない不思議な町家です。この家の道路側のミセの間を借りることになるそうです。床は剥がされて、土間空間に。梁が頭を打ちそうなくらい低く渡されていて、そのせいか、ツシの床も剥がされている。壁に打たれた板の向こうには、すでに土壁の崩れた気配が。板をおそるおそる剥がせば、やはり、ほとんど土壁はないに等しい状態。隅の通し柱はほとんどアリにやられて芯が抜け殻に。よくこんな建物が建っていられたものです。震度5強で確実に崩壊することでしょう。これをどうしよう?予算はほとんどゼロに等しい?

 またまた、瀕死に面した町家の悲鳴が...。客観的には、もうダメと言わねばなりませんが、でも、何とかしてあげたい。おんぼろ町家だけが持つ不思議な空間の魅力が、僕たちを惹き付けます。本当に限られた予算と、学生たちでできるのは、何とか柱の足元を結び、土壁を塗り直し、最低限の耐力壁を形成してやることくらい。この町家に人が住むというわけでない、昼間、本屋としてのんびりしているだけの町家。万が一の崩壊の折りに、ぺしゃんこにならない隙間を本棚がつくってくれるようにできるなら、何とかなるかもしれないな、と。またまたチャレンジとなりました。
                                     (つづく さのはるひと)


 

   もうしばらく前のことになってしまいましたが、東寺町家の西棟の改修シリーズの続編を。3月22日、小雨降る中、波トタンを張りました。雨で丸太足場が滑らないよう、ブルーシートで覆った中での作業です。何とか2日間で張り終え、足場を片付け終えた頃には、辺りは真っ暗。翌日から中国旅行なので、どうしてもこの日に片付けてしまわねばならず、学生諸君たちには無理を言って、やってしまいました。みなさん、たいへんご苦労さまでした。
 この別働隊メンバーはその後、あちこち、やり残した壁塗りやトタン張りを終えて、とりあえず、東寺町家から撤退しました。やれやれ、これでやっと家に帰れるとばかり、新学期までそれぞれの家に帰って行きました。新学期からは、次の町家改修が待っていたのですが、それはまたページをあらためてご紹介しましょう。 で、この東寺町家は現在、どうなっているでしょう? それはよしやまち町家研究室のHPをご覧ください。   
    (さのはるひと)
 

    4月に入り、ちょうど今年に学校の卒業生で、伝統建築研究科に入学してきた左官職人のOさんに、ゲートの土壁塗りのフィニッシュをお願いする事ができました。Oさんは普段の仕事ではなしに、学校の生徒として引受けてくれるとのこと。なによりも嬉しいことです。2回の日曜日に出て来て、丁寧な仕事をしてくれました。京都でも有名な左官屋さんに勤めるOさんらしい、きちんとした仕事ぶりには本当に頭が下がる思いです。おかげさまで、たいへんきりっとした中塗り仕上げの壁ができあがりました。心より感謝いたします。画像はトモチリという技法でチリ回りを決める作業をしているところです。ずいぶん小さなコテで塗っていますね。

 

  完成なったゲートです。左から、府庁のある東から望むゲート、裏側の校舎入口辺りから見ているところ、堀川通りの西側からの眺めです。こうして見ると、紅い色もそんなに悪くないのかしらんと思っています。上の小屋組も塗ってしまおうか?でも、夜には間接照明が奇麗なんです。もうしばらく、このままにしておきましょう。

 

 で、5月8日、休み時間に学生諸君にお出まし願って、記念写真です。来年度用の学校案内に使う写真を撮影しました。道路を通る車を止めての撮影でしたが、なかなかいい感じと思いませんか?これで一昨年以来の2年間にわたる卒業制作が完了しました。いろいろありましたが、みんなよくやってくれました。心から感謝いたします。次は看板かな?      (さのはるひと)
 muku52.JPG 模型を搬入する

 4月22日、ようやく完成した構造模型を竣工なった椋川の民家「おっきん椋川交流館」(旧栗田邸)に納めた。茅葺き屋根もきれいに完成し、誇らしげな家となって僕たちを迎えてくれているようだ。 

muku51.JPG 楽しそうな額もできている

muku53.JPG 中二階に上がると小屋組が見える

 中二階が耐震補強で新たに塗られた壁も美しく、魅力的な空間となっている。ここは灯り展のような企画には持って来いだ。ただし、下でいろりを焚いているので、煙が充満するが。もっとも、今も焚いているはずだが、そんなに煙くない。いい薪が用意されているのかな。

muku54.JPG 新調なったいろりとアマ

 いろりもくども村の人の手によって築かれていた。まだ土が濡れているところをみると、つい昨日あたりに拵えられたようだ。完全に乾かし、ゆっくりと火を入れないと割れてしまう。ここで地元の野菜をつかってのんびり料理したら美味しいだろうな。


muku19.JPG 裏手にて

 それにしても、茅葺きの屋根はむっくりしていて、実にいい。今回は高島市の施設として生まれ変わったことで、予算がついて復元できたが、これからはこの家のファンたちの手で毎年、少しずつでも茅を集め、蓄えて行かねばならない。かつて村の山にたくさんあった茅場も、近年の鹿の被害でほぼ消失してしまった。まずはその辺りから何とか復元して行きたいものだ。

 椋川(むくがわ)は、滋賀県の湖北、朽木から10分ほど車で北に走ったところにあります。閑かな里の風景や優しい人たち、有機農法のお米、野菜が魅力的。ぜひおいで下さい。交流館では、この家や里のファンクラブ員を募集しています。どうぞ、お気軽に参加して仲間になってください。秋にもなれば、会員があつまり、いろりで鹿肉や獅肉の料理もやってみるつもりですので、お楽しみに。

(さのはるひと)

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