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[学校内のあれこれをお伝えします!]
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 今日は、伝統建築研究科の蘆花浅水荘の見学です。13:00にJR膳所駅に集合し、京阪の石山坂本線で瓦ヶ浜駅下車、そこから歩いて、現地に向かいました。
現地では、山元春挙の孫にあたる御当主の山元様そして三宅様による詳しいご案内がありました。
 それでは概要を記しておきましょう。
 蘆花浅水荘は京都画壇で活躍した山元春挙(やまもと しゅんきょ、1872~1933)の別荘として、大正3(1914)年から10年頃にかけて建築されたものです。名前の由来は唐の詩人司空曙(しくうしょ)の「江村即事」から付けられたものです。
  釣罷帰来不繋船
  江村月落将堪眠
  縦然一夜風吹去
  只在蘆花浅水辺
釣を終えて家に帰ってきたが、船をつないでおくのを忘れてしまった。水辺の村にも月が落ちるころとなり眠くなってきた。もし一晩中風が吹いて船が流されても、せいぜい芦の花が咲いている浅瀬あたりであろう。
というような意味でしょうか。のんびりした心地にさせてくれる詩ですね。この建物がつくられた当時、このあたりでは水辺に蘆(あし)が群生していたといいます(昭和30年頃までは保たれていたようです)。残念ながら現在では、随分と様変わりしていますが。
 さて、建物の概要について記しておきましょう。この敷地内には、中心建物としての書院を含む主屋、持仏堂、茶室「穂露」から成ります。

 書院の一の間は、北西に二畳の上段床、つまり残月床を備えています。表千家の残月亭を意識したものでしょうが、随分オリジナリティ豊かな造形です。床柱は省かれ、床框(とこがまち)には絞り丸太で上面には黒塗りが施されています。鴨居(かもい)の上には丸太長押(なげし)が打ち付けられ、天井も高くなっています。ここから庭を眺めると、ゆるやかな起伏をもった芝の小山が湖に連続する、はずでしたでしょうが、今では湖岸道路で分断されています。さらに湖越しに近江富士とも呼ばれる三上山が望めます。これも残念ながら現在では対岸のショッピングセンターによって一部が隠されていますが。ちなみに筆者は大津市民で、これらの施設の恩恵を受けている身としては、少々複雑な思いです。
 書院の北東に連なるところに「莎香亭」とよばれる六畳間があります。正面の袋床と床脇に円窓が並びます。床の間の内側に棚を仕付けているのは珍しい(1月に見学に訪れた廣誠院にもありましたが)ものです。またこの部屋に隣り合って、というか付属して小室の「無尽蔵」があります。画伯が書斎にしたところだといいます。
DSC_0342-3.jpgDSC_0343-3.jpg
 「無尽蔵」とは中庭を挟んで西側に「竹の間」があります。床柱には角の竹、その上部の落掛には途中で曲がった竹が組み合わされています。また床の間の反対側には付書院があり、そこには円窓が開けられ、芒(すすき)がデザインされています。「月に芒」というところでしょうか。
 ここでは全てをご紹介することができませんでしたが、型にはまらない数寄の意匠がちりばめられたこの建物は、オーソドックスな茶室を元にした数寄の造形とは違った方向性を持つもので、大正時代の「自由」な伝統建築をよく表現しています。機会があればまた訪れたいと思います。
 
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 本日は土曜授業の一環として、中村昌生京都工芸繊維大学名誉教授の講演が行われました。伝統建築研究科OBや一般にも開放したため、教室は満席となりました。
 「和風建築について」と題して行われた講演について、少しご紹介しましょう。

 明治以降の近代化を進めようとする日本において、建築は西洋から伝えられたものが中心で、その文脈で今に至っています。つまり、はじめは西洋の建築を学ぶ西洋化、そして近代の新しい技術による近代化、が進められて参りました。それにより私たちは、ある程度利便性の高い生活を営むことが出来るようになりました。しかし一方、その影に隠れて、日本の伝統建築が軽んじられるようになり、研究の対象とされることも少なく、十分に理解が進まない間に、冷遇される状況に置かれてきました。
 一方、伝統を継承しながらも近代化を進めてきた工匠の技術は、新しい実力者たちの邸宅や山荘などに優れた建築を出現させました。明治・大正・昭和戦前において、日本の大工技術が最も熟成洗練された時代でした。当時の棟梁は設計と施工の技術を兼ねそなえて、施主の要望に応え、理想を実現していたのです。そしてこうした近代和風を築いてきた工匠の崇高な技術こそ、自然を愛し、自然に学び、自然と共に生きてきた、私たちの先祖の培った建築技術の歴史的伝統を継承していたのです。しかし、これとても昭和戦後に至っては、廃れる傾向にありました。
 近年、環境問題が注目されるようになりました。和風建築はじつは自然と深いつながりをもったものです。いまこそ、もう一度、和風建築を見直すべきではないでしょうか。利便性のみを追求する建築の考え方を今一度見直してはいかがでしょうか。このたびの東日本大震災は、近年の日本が進んできた物やエネルギーを大量に消費する方向に、大きな疑問を投げかけたのではないでしょうか。
 中村先生は「伝統を未来につなげる会」という社団法人を立ち上げ、伝統建築の魅力を発信し、伝統建築の復権に取り組んでいます。今回の講演は、スライドで日本建築の歴史をたどりながら、和風建築の魅力を紹介したものです。研究活動と作家活動の両面を行ってきた先生ならではの説得力ある講演会でした。
  今日は、香西克彦先生と、北岡慎也先生の講義が行われました。伝建科OBにも開放したこともあり大盛況でした。簡単に内容の一部をご紹介しましょう。
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 香西克彦先生は「壁と窓 ―建築論的考察」と題してご講義いただきました。日本建築の伝統の中にある「窓」は西洋のそれとは全く違った概念である、ということです。つまり西洋の「窓」は壁の一部に穿(うが)たれたものですが、日本の「窓」は柱間いっぱいに開けられ、また床(ゆか)に接したものでもあります。それは日本建築における室内と外の景色との深い関わりによるところが大きいとのことです。
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 北岡慎也先生は「法会(ほうえ)の形式から見た寺院建築の平面と構造」と題してご講義いただきました。寺院建築の平面の変化とそれぞれの立場の人の参拝の場所の変化を、一般にはあまり深く知られていない法会を紹介しながら説明いただきました。
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