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[学校内のあれこれをお伝えします!]
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 1年のカゲヤマです。土曜日、御所でソフトボールをしました。1年と2年で対抗試合となる予定が、人数の加減で適当に混ざって5回の3試合をしました。夏の日差しを思わせる強い光の中、思いっきりゲームを楽しみました。僕の守備、まあまあだったと思います。

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 最後の試合、勝者には景品がつく、大事な試合で、2年生チームが大量リードというところで、ピンチヒッターに何と校長先生が! もう80歳で足がちょっと不自由になられてお弱りの校長先生、大丈夫でしょうか?心配を他所に、バッターボックスに入り、見事な空振りで沸かしました。3球目、しっかり当てて、前に転がるボール。代走にタダ先生が走るところに悪送球、ボールが草むらを転がる間になんとタダ先生、ランニングホームラン!1年のみなが校長先生を祝福に集まりました。

 ここから1年が加点を重ねて、5回裏、3点差をひっくり返してサヨナラとなりました。ちなみに、サヨナラヒットを打ったのは、僕です。(本日のMVPに選ばれ、賞をいただきました。ありがとうございます。)試合後、参加者全員が校長先生のもとに集まり、記念写真を撮りました。楽しかったです。またやりましょう。
                           (MVP 選手 カゲヤマでした)


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さのです。京都市役所に打合せに行った帰りに、堺町画廊に寄ってきました。京都はまた冬にもどったみたいで、寒い寒い。画廊の奥のギャラリーは町家の通り庭ですが、ありがたいことにペレットストーブがぽやぽや燃えていて、あったかい。2年生たちが訪れてくれた方と何やらお話しています。

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だいたいの作品は眼を通していたので、いまさら眺める必要もない、と思っていたところが、おや、見たことも無いものが。丸い火鉢のようなオブジェが眼を引きました。なんだ、これ?

火鉢の中に小さな小屋が未開人集落のようにあつまっています。説明を見ると、夏前にやっていた「京都建築スクール」のつづきの作のようです。
「昨日の晩につくりました」
いつの間に来たのか、横で作者のタカユキ君の声が。

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「3mの離隔距離を保って家をつくるというルールでこんな居住形態を考えてみました」
「でも、それだけではこんな形は出て来ないよね」
「そもそもは家と家の間の空間をつくりたかったのですが、それは離隔距離ルールの設定だけでは出て来ないです」
「それで家の内と外との中間の領域を設けたんだね」
「はい、もともとは個々の家から外部の空きスペース(中間領域)に人々のアクティビティがにじみ出て行くことを主眼としたものです」
「なるほど、ここにみられるような集落単位で共有することにはとても大事な意味がある」
「ぼくもそう思います」
「その考え方には大いに賛成だ。でも、この丸い形の根拠は何だろう?」
「根拠はとくにありません」
「ひとつの集合単位のシェルターのもっともわかりやすい原型なんだろうね」
「そうも言えるかと思います」

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「最近、とみに感じることに、今まではどちらかというと、個々の家を単位に生活の器を考えて来たように思う。でも、これからは複数のご近所さんとのつながりを基本にした住空間を基本として考えた方がいいのではないかと」
「まったく同じことを感じています」
「それはそもそも、集合住宅の発想にあったものだけれども、都市における集合住宅は、残念ながら、そういう人のつながりを断絶したところに発展して来たようだ。本来、個々の独立住宅のまちよりも、関係性をつよく持つはずの集合住宅で、個々の住空間を独立性を高めているというのは、矛盾でしかない。そこに独立をベースにした階層的な関係性を構築するということになるのだが、今にいたるまで、まだそのバランスのよい関係性は定着できていないんじゃないかな」
「はい、もっとその共有部分をひろげていって、生活の重要な部分もゆるやかに交わった関係性が空間的にあってもいいのではないかと思っています」
「かつて、田舎のムラ社会から都会に出て来た第一世代はマンションに住んだが、その子どもたちあるいは孫の第3世代にいたって、都会にもともとのムラ社会にあったようなつながりを求めているということなのかもしれないね」
「若い世代のシェアハウス志向という現象を見ていると、そう言えるのかもしれません」
「なるほど。そうすると、次にはそんな<個室〜リビングルーム>関係を家族から近隣へと広げたところでの、新たな大きなファミリー関係を考えてみなくてはならないだろうね」


                                 (さの〜タカユキ)




卒業生のイ~ジマです。学校の市民講座は毎年楽しみにしていますが、12月の特別公開講義にはかかさず参加させてもらっています。今年はM’sの三澤文子さんのお話を聞けるので、真っ先に申し込みました。三澤さんの作品はいつも建築雑誌で拝見していて、大胆ながら、女性らしい気遣いややさしさが感じられて、とても好きです。

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12月10日ハートピア京都ホールでの講演は「環境時代の木造住宅デザイン」というタイトルで、前半にこれまでの山の木を使ってなされたお仕事や最近の住宅、長野県建設会社の工場などを紹介、後半に主に木造建築病理学をめぐる活動についてお話がありました。一気に2コマ分の内容の濃いお話で、あっという間に時間が過ぎてしまいました。どの作品にも、すみずみまできっぱりした印象があり、といって硬直していないのびやかな空間が実現されているように感じました。材のひとつひとつが、寸法や木柄までちゃんと見切られていて、自信のほどがうかがわれます。

印象にあるのは、冒頭で、自然風土が家の構造を、暮らす人間のライフスタイルが家の空間をつくっているという言葉です。構造から考える家つくりの大事さを藤本昌也先生のもとで、田中文男棟梁から学び、それが民家型構法の家つくりというスタイルを生み出したと。民家型構法は、でも、古民家そのものの真似ではなく、今日の伝統的な構法の家つくりにこだわるのでもない。つくられている空間も構造も、伝統的なものを目指しているわけではない。その折々にもっとも適した構造を考えていると。もし三澤さんが京都で仕事をされていたら、今のようなスタイルではなかったかもしれないなと思いました。

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それと、料理をしない人にキッチンの設計ができるわけがないという三澤さん。あの男顔負けに忙しい三澤さんがどんな料理をなさるんでしょう?

前半のデザインのお仕事に対して、後半の建築病理学の構築にはまったく別の人物を見ているようで、とても感心しました。まっとうな木の家つくりという使命に対して、きちんと社会に定着させようという意気込みがよく伝わって来ます。京都では、町家や身の回りの文化財を保全、再生しようという勉強はよくされていると思いますが、社会的な枠組みに配慮した学的な構築がなされているのかどうか、これから三澤さんにぜひとも京都でがんばってもらって、そんな土台を築いてもらいたいと強く思いました。

講演の後、学生や社会人10人ほどでお茶をいただきながら三澤先生を囲んで親しくお話を伺うことができました。以前からサノ先生に「鬼のようにつよ~い女性」と聞かされていましたが、学生たちひとりひとりの質問にやさしく答えられる三澤先生のお姿にじーんときました。これからもたびたび教えてください。ありがとうございました。

                     (設計で悩んでいる卒業生のイ~ジマでした)





 建築科2年テラダ&1年ナカニシです。今年の学園祭(建工祭)の堀川茶席をどういう趣向にするか、
昨年の骨組みをもとに、
①雨がしのげるように屋根材を工夫する
②昨年は開放的だったので、閉じてみよう
ということで、デザインを2年のタカユキさんに頼みました。
みんなに協力を頼み、前々日から組立作業を行い、前日夜中に何とか出来上がりました。

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 昨年は台風が来ていて、とても心配していた茶席でした。今年はそれまでよかった天気がこの日だけ雨。きっと雨男がいるにちがいない。(そういえば、木匠塾も、遠足も雨でした。)前日の夕方にはNHKでも案内ニュースをしていただいたのに。雨のせいか、いつもはもっと散歩している人が多い堀川も人はまばらです。お花部の諸君のお花を流れの上に置いてもらって、席には花を立てませんでした。

 やや遅れてしまいましたが、席の支度がととのうのをお待ちいただき、第一席を無事迎えることができました。

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 お釜に注ぐ水は御霊神社から汲んだ清水、お茶は一保堂さん、お菓子は皆で千代紙を折ってつくった笹舟にのせてお出ししました。雨にもかかわらず、気温は高めで、風呂の炭が元気よくいこっていて、あついこと!緊張やら炭の熱気やらで、汗がたらたらの亭主ぶりでした。でも、みなさまによろこんでいただけて、嬉しかったです。
 風を少し入れようと、風呂先の辺りの紙を切り抜いて小窓を開けてもらいました。

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 暗くなって灯りも灯され、いい雰囲気です。この日は60人ほどのお客をお迎えしました。お茶部のみなさん、ご協力をありがとうございました。入念なご指導をいただきました城市先生には心から感謝いたします。


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タカユキ:

今回のお茶室を作る上で考えたことデザイン手法として、小さな物を沢山使う事によって量感や連続性が出せるという事。また物のスケールを拡縮することによって、普段見ないような姿が表れるのではと考えました。

使った素材は普段製図などで使われる、建築学生には親しみあるトレーシングペーパーと呼ばれる紙。透光性があり、揉めばシワが入り、かすみ草を混ぜたかのような表情になり、とても面白い。これを一枚ずつミシンで縫い合わせ、大きな一枚物の紙に変え、お茶室の壁面に用いました。

結果として、光の現れ方には満足しましたが、思ったようなゴワゴワしたシワの表現にはなりませんでした。紙の大きさを拡張して、揉み込んで縮小する事により紙に見えなくなるような表情にしたかったのですが・・・。
やってみて出てくる問題はあるもので、スタディ不足でしたが、勉強になりました。

雨中にもかかわらず、屋根や壁の取り付けを行なってくれたスタッフには本当に感謝です。こういったワークショップのような作業は多くの人の支えがないと成立しないので、とても有り難く思います。

来年は是非、現一年生に美しいお茶室を創り上げて欲しいと期待します。


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 ありがとうございました。                  

 

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ナベ  :うわ、なんだこれ?でっかい石が積んである
イワモト:これが一乗谷城下町の門さ
オ〜バ :15世紀中頃らしいよ。550年も前のことだ
ナベ  :秀吉もでかい石を好んで積んでいるけど、当時の流行なんかな〜
イワモト:朝倉も文化的な大名だったみたいだね。館跡には石庭もあるらしいから、楽しみだね

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オ〜バ :これが復元された町並みか。目抜き通りの割には閉鎖的だな〜
ナベ  :半分は武家住宅なんで塀だらけなんだ
イワモト:九州の島原や知覧にもこんな道があるよ
ナベ  :復元だから仕方ないけど、みんな同じ表情になってしまうね
オ〜バ :実際はもっと個性がにじみ出て変化があったんだろう
イワモト:同じ業者につくらせないで、あちこちに分担させればいいのかな

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ナベ  :いや、これなんか町家風だね。妻入りで、設計は変えてあるんだけど
オ〜バ :あるんだけど、同じだね
ナベ  :どうしてかこうなるんだろうね
イワモト:土壁の色やつくりが一緒だからだろうさ
ナベ  :これ、モルタルみたい
オ〜バ :下地にはちゃんと竹小舞編んで壁土塗りになってるのに、勿体ない
イワモト:この時代に竹小舞が使われていたのかな〜?

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ナベ  :内部は窓も開けっ放しで寒くない?
イワモト:寒い時には突き出しの板を下げてフタするんだろうね
ナベ  :まっくらじゃん
オ〜バ :板には槍カンナがかかってる
イワモト:まだ台鉋は出回っていなかったらしいよ
ナベ  :柱梁もぼこぼこ チョウナはつりままだね
オ〜バ :実際には火をくべているので、燻されてまっ黒になっているはず
イワモト:ここでも火を焚いたら、それ風に見えてくるだろうにね
ナベ  :最初の武家屋敷は焚いてたみたいだよ。いい感じになってた
イワモト:やっぱり家は使わないと嘘くさいし、変だよね

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ナベ  :これが有名な朝倉館の門か。記念写真撮ろうよ
イワモト:残念、記念写真はボツ
オ〜バ :唐門はきれいな形だけど、お殿様の館にしては風流だね
イワモト:この門はもともとの屋敷の門ではないらしいよ どこかのお寺の門の移築らしい
オ〜バ :なるほど、道理で。
イワモト:それにしても、どうしてこんな山の谷筋に城下町をつくったんだろうね
オ〜バ :秀吉なら、すぐに水攻めしちゃうね
イワモト:その前に信長に滅ぼされてしまったんだ

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イワモト:これは城主館の上方にある諏訪館の庭で、一番まとまりがいいと思った
オ〜バ :大きな館にはどれにもなかなかの石庭が組まれているよね
ナベ  :でっかい滝の石にはなんやら文字が彫られている
イワモト:滅ぼされた城主たちに対する供養として彫られたそうだ
ナベ  :ふ〜ん、芭蕉なんかが来たら名句がつくられただろうにね
オ〜バ :石はこの周辺から集められたそうだ。秀吉がつくれば、もっと名石を集めただろうけど、
     さすがにこの時代にはそんな余裕はなかったんだろう
イワモト:でも、何か桃山期の豪華さはないかもしれないけど、武家好みな感じはあるんじゃない?
ナベ  :今は庭として植木なんかが整備されていないけど、植栽をそれなりにちゃんとしたら、
     これは名園だよね
オ〜バ :おそらく、京都から庭師を連れてきてどんどんつくったんだろうな。斜面をうまく利用し
     ていると思うけど、何だか、つくられたという感じが抜けないのはどうしてかな
ナベ  :やっぱ遺跡のままなんで、庭としては半分しかできていないんじゃない?
イワモト:朝倉館の庭の中央に花壇の跡があったね。数寄屋の建物越しに石庭を組んでいたけど、
     規模がずっと小さくて、不思議。きっと山の斜面にも庭がひろがっていたんじゃない
     かな。今後の調査でそれがわかるといいね。
オ〜バ :歴史資料として、勝手な復元は許されないとは思うけど、これをベースにして庭も建物も
     どんどんつくってやったら、すごい魅力的な観光施設になりそう
イワモト:そうだね。中途半端な観光施設ではなくて、じっさいに人が住んで文化的な深みのある
     復元をやってみたらいいと思う

       (今回はまじめなふらふら三人組でした イワモト ナベ オ〜バ)
       







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